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記憶の地平【11】

人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。

 

記憶の地平【11】土漠の中で。

 

エンセナーダの下町にある酒場。
西部劇そのものズバリという感じ。マリアッチが奏でる音色が気分を盛り上げる。
これから数週間、旅を共にするアメリカ人達と旅の安全を祈ってセルベッサ(ビール)で乾杯する。
つまみは、お約束のトルティーアにサルサ。

ここは、メキシコのカリフォルニア半島、半島北の州都である。
明日の早朝からこの半島を南の州都ラパスまでモーターサイクルを馬代わりに旅をするのだ。
距離約1600キロ。ニッポンの本州を縦断するのと同じ距離である。

 

18歳の時に運転免許を取って以来、モーターサイクルで旅をするのが好きだった。
最初は身近にあったスーパーカブで八ヶ岳周辺を旅した。
それ以来、休みになればテントとシュラフと飯盒、焼き網、塩を積んでキャンプしながら旅をした。
そのうちに、舗装された道がつまらなくなり、未舗装の道を探して旅するようになった。
それもつまらなくなり、道でないところを走る面白さを知ってしまう。
しかしまあ、ニッポン国内で道でないところを走るのは、色々と問題があるので
山間地にある林道を走り旅するようになっていく。
それもできるだけ、整備が行き届いていないような、原始的なルートを好んで走った。

 

そういうことをしているうちに、どうやらメキシコにその手のワンダーランドがあることを知る。
そこでは毎年、モーターサイクルのレースが行われていて、その名を「BAJA1000」と呼ばれていることも知る。
BAJA(バハ)は下という意味のスペイン語、カリフォルニアの下というわけである。
そこをノンストップで1000マイル(1600キロ)走るのがこの名の由来というわけだ。
もっとも僕は、レースなんてのものには興味がなく、道か道でないか判別できないようなところを1600キロも旅ができることに、ただただ興奮していたわけです。
じつはこの行為もまた、美しい状態への憧れ、手垢のついてない大地、つまり家畜化されてない状態への希求の一部だったと、今にして思います。

 

気温45℃、湿度10%以下。
大きなサボテン、潅木の林、干上がった湖、細かな砂、青すぎる空。
原始の世界の中を、一日中ひらすら走るのです。
ふと「2001年宇宙の旅」の最初のシーンを思い出しました。
走り出してすぐ、腰に2つの水筒を付けろと仲間た云った理由が分かりました。
想像以上に過酷な環境だったのです。

 

その広漠たる土獏の荒野を駆け抜ける中に、時々小さな村に出会います。
それらの村々には、人の気配のない、小さな祠のような教会だけが、ひっそりとある村もあります。
名前は忘れましたが、小ぶりながらも石造りの立派な教会のある小さな村で休憩しました。
西部劇よろしく男達が鉄馬から降ります。
しばらくしたら杖をついたお爺さんが近寄ってきました。
「オラ!」同行のアメリカ人が声をかけます。
そこでしばらく会話しました。
モンゴロイド系、顔つきが似かよった僕が気になったようです。
ポケットスペイン語会話辞典片手に、あとは身振り手振り。

 

ここで一人で暮らしていること。
小さな畑があること。
痩せた牛も飼っていること。
ラジオを聞いていること。
たまに旅人と話すこと。

それが会話で分かったすべてでした。


そしてまたラパス目指してモーターサイクルに跨りました。
山岳地帯を抜け、コルテス海と呼ばれる空と同じ色をした海の見える湾岸に面した小さな町で、一日体を休めました。
レストランで食事をしていても、夜仲間と飲んでいても、
あのお爺さんのことが、気になって、頭の隅にいつもありました。
あの土獏の世界で生きることの意味というか、人生をどう理解したらいいのか?
毎日、なにを見、なにを食べ、なにを飲み、なにを笑い、なにを喜び、そしてなにを悲しむのか?
まあそういう風なことを考えていたわけです。

 

そしてふと思ったのです。
あのお爺さんにとってのすべての世界は、あの小さな教会のある村にすべてあるんだと。
つまり、あのお爺さんが生きるために必要な、すべてのモノとコトは、
あの世界に揃っているということを理解したわけです。
ただ、あの小さな村では、それを許容するキャパは、せいぜいあのお爺さん一人だということもね。
だからお爺さんは、あの村に存在しているんだと。
存在していることが、「すべてはここにある」を証明していると考えたわけです。
同時にそれが、僕にとって最上級クラスの「美しい状態」であると感じた瞬間でした。

 

旅から戻った僕は、もしかするともともと足元にあった家業の米屋の中に、
僕の憧れる「美しい状態」があるのではないかと考えるようになります。
そうして僕の米屋時代は、静かに始まることになるのです。

次回は、家業の中の「美しい状態」についてお話ししましょう。

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ロードムービーを見ているようなメキシコ旅だった。
Ry cooder - Paris,Texas


画像上:laguna diablo 悪魔の湖と呼ばれる乾いた湖から脱出直後のカット。
画像中:西部開拓時代はこんな感じだっただろうか。
画像下:La Paz まで150マイル手前、舗装された国道と出会う。

 

2010年10月17日 [ 4482hit ]
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