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2日目 話しっぷり 勉強会本番

 7月18日(日)12:00、会場のラペック静岡の多目的ホールは来場者スタッフあわせて60人を超える人たちが集まった。始まりは恒例の「カミアカリテイスティング」。

 21年産で栽培された3種の巨大胚芽米カミアカリ(静岡藤枝松下さん、茨城奥久慈大久保さん、福島会津菅井さん)と基準米として静岡磐田太田さんのコシヒカリを加えた4種を、P社製IH式炊飯器と、炊飯土鍋の2種類の方法で炊かれたものをテイスティング。収穫されてから約1年経過したそれらの、香り、味、触感、などを味わい、言葉出しに挑戦した。

 言葉出しのガイド役として国際的なコーヒー審査員、創作珈琲工房くれあーるの内田氏と、山梨のワイングロウワー杉山氏がコーヒーやワインをテイスティングする手法で味や香りについての言葉出しを披露した。

 

 今回はゲストスピーカーの講演に入る前に映画の上映を行った。静岡地酒研究会が制作中のドキュメンタリー映画「吟醸王国しずおか」。そのパイロット版である。この映画には、カミアカリを発見育種した松下明弘さんも出演されている。

 

 勉強会後半はいよいよ今回のゲストスピーカー、株式会社ドンクのパン職人、仁瓶利夫さんの講演第1部である。タイトルは「バゲットの虚と実」。講演が始まってまもなく、製法、原料などが異なる5種のバゲットが配られ早速試食。そして種明かし。それぞれ何が異なるのか、その背景に何があるのか、そして本物や本質とは何なのか、バゲットが生まれた歴史的背景を交えながら、今のバゲット、ニッポンのバゲット、そしてニッポン人について語っていただいた。

 第2部はトークショー。「人間仁瓶利夫さんを解剖」というテーマで、勉強会代表の長坂と石垣が加わり、パン職人になった経緯や40歳までの混沌の日々、またパン職人とは何か?職人の本質についてなどを語っていただいた。

 勉強会ラストは、この夏カミアカリの生まれ故郷、静岡県藤枝市で実験的に試みる「カミアカリツーリズム」について担当の長坂と坂野がプレゼンテーションをして勉強会を締めくくった。

 

□カミアカリテイスティング

 

 玄米食専用品種カミアカリは、育った風土や生産者の技や思いが、そのまま味や香り、触感に反映します。カミアカリの美味しさの答えはひとつではなく、それぞれがそれぞれの答えを持っていると言ってもいいかもしれません。同じ品種でありながら、静岡藤枝の松下さん、茨城奥久慈の大久保さん、福島会津の菅井さん、3者のカミアカリは異なった魅力を持っているのです。それらを具体的な言葉に変換しながらキャラクターを探っていくのが、カミアカリテイスティングです。参加者からはこんな言葉が出てきました。

 

【香り】

トウモロコシ、焼栗、藁や麦のような香ばしさ、チョコレート、堆肥、バター、こうせん、胡麻、香ばしい秋の香り、くるみ、水草、炒った豆、さつまいも、酢、たくあん、ミルク、きな粉、スウィートポテト、草のような、障子、だらっとした香ばしさ、たん笥、

【味】

草の味、栗のような甘さ、キノコ、ピーナッツ、ミント、たくあん、少しスパイシー、こうじのような、ほのかな苦味、ほうれんそう、酸味、

【触感】

プチプチ、シャクシャク、ムクムク、シャキシャキ、すじこ、パラパラ感

種のような硬さ、ナッツのような感触、おこし、しっかりとした腰、弾力感、

【印象、感想】

・生産地、生産者によってこれだけ違いがあるとは驚きました。

・噛み応え、甘み、お米の魅力をあらためて知りました。

・産地の違い、炊き方の違いが面白い。

・香りだけでも食欲が湧きます。

 

 カミアカリを口に入れて咀嚼しながら感じたことを、できるだけそのまま言葉にしてみます。噛んでいるうちにも感じていることに変化が起きてくるでしょう。それもその都度、言葉にしてみます。すると、不思議なことに、それまで漠然としていた「美味しさ」や「個々のキャラクター」が自分の言葉で捉えられるようになってきます。正解も不正解もありません。ただ、自分の感じていることをよりはっきりと意識することができるようになるのです。

 この言葉出しには、少しトレーニングが必要ですが、カミアカリ以外のものを食べたり飲んだりするときでも、ひとこと何か言葉出しをする癖をつけると、いつの間にか自然に出てくるようになります。

 

□後半第1部「バゲットの虚と実」ドンクのパン職人 仁瓶利夫さん 講演

 

 皿に盛られた5種類のバゲット。一見すると同じように見えるが、さにあらず。じつはそれらはすべて製法や成分が違ったバゲットだ。

 

 バゲットを日本語訳すると杖または棒。まさにその名前は姿そのもの指しています。バゲットの生まれは100年ほど前、パン屋が街角ごとにあるようなフランスのパリ。2時間も置いたら劣化が始まる「新鮮さ」が売りのバゲットは、朝昼晩にパンが買えるパリならでは、まさに都市生活者の暮らしにぴったり合った食事パンとして登場しました。

 パリパリとした、クリスピーな皮の触感をより味わいたいがために、その姿はどんどん長細く「皮ばかり」になっていきました。(この姿のために、さらに劣化が激しく、新鮮であることが重要になります)そんな理由から昔はパン屋の少ない田舎にはバゲットを食す習慣がなく、カンパーニュこそがいわゆる食事パンでした。

 またある時期までは、国で定められた統制価格の時代もあったといいます。まさに庶民の「主食」、日常の糧として、バゲットは生活基盤そのものだったわけですね。いわゆる三ツ星レストランでバゲットが出てこないのは、庶民の食事パンだからなんです。

 

 さて、そんな「本物」のバゲットが日本で作られたのは1965年、ドンクがその礎でした。仁瓶さんがドンクのパン職人になったのは60年代後半のことです。その後、日本では経済成長と共にその時代のニーズに答え、バゲットに新たな解釈が加えられていきました。その一部が今回、皿に盛られた5種のバゲットなのです。(やっと戻ってきましたね!)

 

さて。

「どれが好みですか?」

 

 仁瓶さんは種明かしをしながら、そのバゲットが生まれた背景を説明していきます。それぞれに、それぞれの理由があるので、良い悪いではない点に注意しながら試食します。それでも厳密に比べながら食べてみると「美味しい」と反応するセンサーは皆似ているから面白いものです。

 

 「ところで・・・」と前置きしてから始まったお話しは、パン職人仁瓶利夫が感じる「いびつなバゲットの存在」についての話です。どういうことかというと、パン職人であれ、米屋であれ、誰しもが持っている思い込み(ある種の信仰に近い感覚)や無知によって、時に人は安易な選択をし、判断の分かれ道を間違えたために、混迷の森に進むことがあるという話…もっと具体的にいいましょうか。

 バゲットを作るための素材は小麦粉、塩、水、パン酵母の4つ。たった4つの素材であるにもかかわらず「いびつなバゲット」が生まれる可能性は常にある、と仁瓶さんは言います。

 発酵時間の異なるもの、ほんのわずか添加物の入ったもの、原料の小麦粉が異なるもの等々、一見すれば同じように見えるバゲットが、まったく異なる香り、味、触感を持って作られます。味の基準となるような、正統派のバゲットが存在しているのに、なぜ亜流ともいえるそれらが生まれてきたのか?その部分に注目すべきものがあると、仁瓶さんは指摘しています。

 

 例えば、あるパン職人のサクセスストーリーがあるとします。その成功例についてパン職人たちは大いに学びたいと思うはずですね。ここまではいいでしょう。しかし彼らが知りたいと思うことは、それをどういったプロセスで作ったか?何がこの味や食感を引き出すポイントか?という職人ならではの技術や感覚ではなく、何を使って作ったのか?という、素材や道具についてであることが大半だといいます。

 素材や道具にあやかりたい気持ちは分からないでもない。しかし、モノづくりとはそういうことではないはずだ、と仁瓶さんは思うわけです。

 パン酵母しかり、塩しかり、小麦粉しかり、パンが、そしてバゲットの本質が分かれば、そういう表層的なことに振り回されることなく、良いバゲットが生まれるはず、それがプロであり一流のパン職人だと、仁瓶さんは言います。

 

 耳に優しく聞こえるスローガンや表層的な言葉に依存している限り、本質は捉えられないものです。しかし自分も含めて多くの人々が、知らず知らずにそういう言葉に呑まれて行き、その中にいることに違和感を持たなくなり、疑問さえも持たなくなっていく…そんな時、そこにいびつなモノが生まれ、流布していくような事態が起きてきます。

 いつしか私達は、そのいびつなモノを目の前にしてこんなこと言うでしょう。

「バゲットってさ、こういうパンのことでしょ・・・」

 バゲットの本質について何も知らないことに気づきもせずに、それこそが唯一のバゲットだと言わんばかりに。

 

 パンにせよ、米にせよ、この世界にあるほとんどすべてのことについて、私たちはきっといびつなものを知ろうともせず、いろんなことを曖昧に流してしまっているに違いありません。だから、今こそ、それぞれの世界に精通した人に教えを請う必要があると思います。ひとつでも知れば、世界は違って見えてくるはず。1本の細長いパン、バゲットの中に、その本質を見つけられたように。

 

 

□第2部「人間仁瓶利夫さんを解剖」

 

「刷毛に毛があり。禿げに毛はなし。」

 

 冒頭、じつは禅問答のようなこんな話しっぷりから始まった。かつて会社の上司とやりあった時代の思い出の言葉。一職人のとして正しいと思うことは主張する。皮肉を込めたその言葉には仁瓶さんなりの信念があった。

 しかし信念を持ったブーランジェ(パン職人)になるまでには、小麦粉と水と塩がパン酵母によって発酵するのと同じように、時間が必要だ。仁瓶さんにとっても、本当の意味での「職人」としての始まりは、意外にも40歳を過ぎてからだった。そして今、一流のパン職人として名声を得た仁瓶さんは、パン職人という仕事についてこんな風に言う。

 

「パン職人とは・・・、パンは神から与えられ、パン屋という職業は悪魔が与えた仕事。」

「士農工商パン職人・・・(笑)」

 

 バゲットというフランス生まれのパンを日本に紹介したのはDONQ(ドンク)だ。昭和43年、雑誌「太陽」になだいなだ氏が書いた東京青山のドンクの記事を読んだ若き仁瓶利夫さんは感銘を受け、さっそくドンクの扉を叩いた。25歳の時だったという。

 

 「ただひたすら肉体労働でした。毎日生地を捏ねる日々、睡眠時間もほとんどなく、一日中工房に缶詰・・・同じ職場のパティシエ(ケーキ職人)とはまったく違う世界だった・・・」。

 

 入社してからしばらくして、仁瓶さんはブーランジェ(パン職人)とは想像以上に地味な存在、体力がもの云う仕事、悪魔が与えた仕事であることを悟った。同時にパンはヨーロッパをはじめとする粉食文化圏では、なくてはならない存在。神が与えた糧であることも知ったのだった。

 

 しかしある時、パンのことを何も知らず(考えず)仕事をしていることに気づく。目の前のパン生地ではなく、与えられたレシピしか見ていなかったことに気付いたのだ。

 

「完成品をイメージし、仕込みの方法を逆算するのがパン職人の仕事だ・・・」

 

 今でこそ後輩の若いパン職人たちに口が酸っぱくなるほど言っていることだが、若き日の仁瓶さんにも、完成品をイメージすることなど想像もできなかったと云う。悶々とする中で先が見えないまま、それでも多忙な日々が続く。そんな仁瓶さんに転機がやってきたのは40代になってから。単身フランスへ武者修行に出掛けた時、紹介されて出向いたパリの街角の小さなパン工房。その小さな工房との出会いが、仁瓶さんのその後のパン職人としての人生を変えるきっかけとなった。

 言葉も通じない中、朝から晩までむさぼるように、工房のパン職人、ムニエさんの仕事を見た。それが仁瓶さんとムニエさん、そして「リュスティック」との出会いだ。

 

 リュスティックを直訳すると野趣、粗野なという意味。捏ね過ぎることなく、発酵時間も長い。できるだけ手を掛けず、言わば過保護にしないで生地そのものの自立した発酵を促すと言ったらよいのだろうか。そういう風に生地に関わることで、モチモチした独特と触感と風味豊かなパンが生まれる。仁瓶さんは当時の風潮とは逆行するかのような、その昔ながらの製法のパンの虜になった。

 

 帰国後しばらくして、その経験が生かされる機会がやってくる。一時は、会社を辞めようとまで思ったこともいつしか消え、一流のブーランジェ(パン職人)へと階段を上っていった。「生地も捏ねるが、理屈もこねる」と、評されるような理論派ブーランジェ仁瓶利夫の誕生である。

 時代は進み、パンが時代の要求に応えながら変化しなければならない状況にであっても、パンがパンであるもっとも大切な部分、アイデンティティとも言うべきこと、「分かち合うもの=糧」としての存在であることを仁瓶さんはけっして忘れなかった。

 かつてほど売れなくなったというバゲットを、かたくなに作り続け、そこで培ってきた技術を後輩たち継承しようとている姿を見るとき、「これがパンというものだ」という無言の声が聞こえてくる。

 

 トークの最後にかつてリュスティックに出会ったパリの小さなパン工房、ムニエさんの工房の画像が投影されると、仁瓶さんはバゲットを、文字どおり杖代わりにして、目を細めながら語っている。今までの緊張した面持ちが崩れ、笑顔が溢れていた。

 その表情から、売れるだけがパンの評価ではなく、技術を高め、素材と真摯に向き合い、職人としてできる限りのことを追求し続け、バゲットというパンを生んだ文化や人に対しての誰よりも愛情を持ち、また敬意を持ってパン職人としてのシンプルにパンに向き合っている仁瓶利夫さんという一人の人間が見えた。

 会場にいた多くの方は感じられたことだろう。こんな生き方は、とても素敵なことに違いないと。

 
2010年07月23日 [ 2900hit ]
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