「田植えは気持ちいい」
さっきまで水墨画のようなモノクロームの世界にまだあどけないが若苗の緑が、そのモノクロームの世界に新しい生命を吹き込む力強さを感じる。実際それは本当のことである。田に水がはられ苗を植える。しばらくするとそこには小さいけれど壮大な宇宙が誕生するのだ。 田植えも後半戦ちょうど酒米、山田錦の田植えの真っ最中、いつもどうりじゃまな手伝いに出かけた。大遅刻の小生は慌ててスニーカーからマイ長靴に履き替え田植え機に苗を積み込む。 いっぱいに積み込んだら、いざ!田圃へ、松下君はみるみるうちに苗の絨毯を敷いていく。絨毯といってもかなりスカスカとした絨毯だ。彼の田圃はとても苗の数が少ない。一般的な田圃の7掛けくらいの数しか植えない。実は稲の生育にとってこれが重要なことの一つなのである。そのため収量は一反あたり7俵が目標。その昔、少しでも多い収量が美徳とされた時代もあったけれど、稲の健康と米の品質のこと考えると7俵というのが上限という考え方なのである。松下絨毯のスッカスッカはこうゆう理由なのでる。 先週田植えしたコシヒカリを見に別の田圃に行ってみた。「これ!豊年エビ」「コレ!たにし」「コレ!やご」「コレ!ミジンコ」「コレ!おたまじゃくし」「コレ!・・・・」「コレ!・・・・」・・・・・。そこには小さいけれど生命が躍動する壮大な宇宙が広がっていた・・・・・。 除草剤などの農薬や化学肥料にたよっていた頃にはこんなに多くの生き物はいなかったという。完全に姿を消していた豊年エビが帰ってきたと近所でも話題にのぼることだったらしい。小生は自分がいずれ販売するでろうコシヒカリの苗を見るよりそこにいる多くの生き物が気になって夢中になってデジカメのシャッターを切った。そんな小生の感動を尻目に、「2〜3年続けるとこうなるよ。」と松下くんはこともなげにいう。 その小宇宙の横を爆音とともに東海道新幹線が通り抜けていく。列車の中の旅人が見る車窓の向こうの田園に壮大な小宇宙があることに思いを巡らす者が幾人いるだろうか。西へ東と右往左往する人間という生き物を横目で見ながら日の沈み行く田圃のあぜでもの思いにふける小生なのである。 |
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6月10日号 田植えをするの巻
( 2001年度 )
2001年01月14日 [ 4365hit ]