14:45 9℃

 藤枝の田圃に到着。寒い。これじゃ、まるで冬
 故障の絶えないオンボロ仏車でも、この外気温計だけは、なぜか正確だと、ある仏車マニアの方が云っていた。その説が信じがたいほどの数字が車のモニターに表示されている。

 

 今日は4月16日、例年ならシャツ一枚、日中だったら腕まくりして過ごすくらい暖かくていい頃だというのにここのところの天候不順による気温変動は、どうしたことだろうか。
 たった46年しか生きていない僕が、この状況を単純に「イジョウ」と表現するのは、いくらなんでも軽率だと思うので、普段は使わないようにしているが、そんな僕でも、「あれれこれは・・・」と思いたくなるほどの気温ではないか。

 

 こういう時、ふと思うことがある。

 

 「どこまでイメージし、準備をしておくべきかなのか?

 

 3月末の寒気で静岡県内お茶が被害を被った。そのほとんどが早生品種だったという。では、なぜ霜の被害を被る可能性のある早生品種が、こんなに広い面積で栽培されていたのだろうか?理由は様々だろう。「リスクとメリット、その狭間で勝負しているから」と云うところだろうか。


 午前中、お茶や果樹など多角的に農業している生産家が来て、こんな風に云っていた。


 「要するに、博打ですよね・・・」。


 だけど、この「博打」という言葉、なんかしっくりこないのだ。もともと、農とは生きていく過程にある様々なリスクを未然に防ぐ(hedge:ヘッジ)ためのものじゃなかっただろうか?それが、いつのまにかに農そのものが博打になってしまっている。
 云ったご本人は、そんなに深い意味ではなく、比喩として使っただけのことだとは思うけれど、あらためて考えたら変な話しだなと思ったのだ。

 

 じゃあ、あえて博打するなら、酷い負けをしないようにしなきゃいけない。と僕は思う。そこではじめて、「どこまでイメージし、準備をしておくべきかなのか?」ということになる。

 稲作だってお茶と何も変わらない。松下や僕は、博打をするつもりはないけれど、結果的に「博打のようだった」と思うことはたくさんある。だから、「どこまでイメージし準備ができるか?」が、酷い目に遭わないための、せめてものリスクヘッジだと考える。

 

 それにしても寒い。人から見れば「その車が、そもそも博打だろ。」と云われかねないが、本人にしてみれば、それを楽しんでいるという風に変換してメリットとして感じているあたりが、そもそも、このことについて語る資格はないのかもしれない。

 

 

 

画像上:いつも立ち寄る定点観測圃場。この後、みるみる気温は下がり7℃となった。

画像中:新幹線のガード潜った先に好きな田圃がある。ここは、すこぶるコンディションが良い。

画像下:お気に入りの田圃を見下ろすように塔のように立つ2本。今年は何を見ることになるのだろうか?

2010年04月17日 [ 6364hit ]
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