これは松下の寝床ではない。自家製有機肥料製造のベッドである。このダブルベッドサイズのプールの中に糠、魚かす、菜種、鶏糞が松下レシピでブレンドされ複合菌類によってゆっくり発酵していく。今年は気温が思いのほか低いため、電熱ヒーターで少しだけ暖めている。これを何セットも繰り返して作る。出来上がった肥料は元肥として田圃に撒くものと、追肥用に樽に小分けし貯蔵するものとに別ける。
午後から時間を作って田圃へ向かう。2009年度シーズンとしては初の訪問。とは言っても松下にはここのところ田圃以外の場所で何度も会っているし、正月から数えると田圃通いはすでに4回目。というわけで初訪問という気分は、たぶん沸かないだろうと思っていた。しかしいざ現場に行ってみると、やっぱり毎年感じるあの何とも言えない緊張感が沸いてきた。
何を話そうか?何を見つけられるだろうか?何も捉えられないまま終わってしまうかもしれない・・・。という不安から来る緊張感である。
そういう私にとっての松下と松下の田圃で繰り広げられる稲の生長、そして米粒となったその後から、私が捉えたいものを、2009年度の初めに少し語らせてほしい。
「捉えたいもの」。それは、単なる有機農業の技術情報や「顔の見える・・・」に、象徴されるようなトレーサビリティ的情報ではなく、(もちろんこれらを蔑ろにしているつもりはありませんよ)むしろその手前側にある、もっと単純なこと。松下と田圃と稲の日常生活そのものです。
それはけっして特別なものではなく、営々と代々途切れることなく、ただ淡々粛々と営まれていくありのままの日々。怒るわけでなく、大騒ぎするわけでもなく、静かに、そして少しだけ笑うような日々。彼らが意図せず作ってきた歴史絵巻が、全体としてどういう意味を持つかなんて知る由もなく生まれ死んでいくこと。そういう奇跡のような日々の先にある今を一瞬でいいから捉えたい。そんな風に思っているのです。
その一瞬がいつ捉えられるのかを、いつも期待しています。だから田圃へ通います。アンコメが関わり始めて9作目。2009年シーズンが始まりました。
松下と取り組む9年目のシーズン。今、松下は田圃の整備と自家製肥料作りに真っ最中。抑草効果を最大限生かすための技術、それは手間を惜しまずただひたすらに田圃を平らにすること。そして水漏れしない畦をしっかり作ること。緑肥(レンゲ、ヘアリーベッチ)の状態をしっかり観察し、すべての田圃の状態をデータ化すること。4月いっぱいたっぷりと時間を掛けてそれらの整備を行う。松下は言う。「この期間でしか田圃に関わることできない。だから、ここが勝負・・・田植えしちゃったら、あとは本人(稲)任せだからね・・・」。