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9月1日号 魔法の杖。

 ニッポンに水田稲作が導入されてどれくらい経つのだろうか?それに関する文献を読むと、こう書いてあった。
「日本に水田稲作が渡来したのはおよそ2500年前ないしは3000年前ほどのことと考えられる・・・」
友人が国会図書館土産と称して買ってきてくれた「世界史年表・地図」と照らし合わせ見てみると、この時代は縄文晩期に属していることがわかる。と言っても、現在の水田稲作の基盤となるような大規模でシステマティックなものはきっと弥生時代に入ってから、あるいはそれらが弥生時代を作っていったと思われることも書かれていた。
じつは縄文晩期、日本列島にはもう一つの稲作があったらしい研究もある。ただしそれは水田稲作ではなく、おかぼ。陸稲である。研究者によればそれは焼畑による稲作であったと解説してあった。

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甲府のワイナリストSさんの実験圃場を見学した。この土地の風土との相性を探るため今まで導入されて来なかった様々なぶどう品種の実験栽培している。こういう風景を見る時、黎明期の水田稲作を支えた先人達の姿とオーバーラップする。

 8月30日新潟三条、翌31日山梨甲府、そして9月1日静岡藤枝。この3日間は田圃三昧だった。その中には山梨でワイン用のぶどう栽培の圃場も入っているというオプションもあったけど、その目で見、手で触れ、体で感じ、心で考えていることは、農という人の技とその歴史だ。採集によるエネルギーの確保あるいは収奪でなく、農という技術による太陽エネルギーの固着化、その欲求に対する人間たちの飽くなき追求の歴史だ。そういう積み重ねによって人は思考し技術を研鑽してきたように思う。
でもその末裔たる我々の時代の農を見る時、思考しない農。あるいは思考すべきところを思考しない農の存在も見え隠れする。

 今日、松下がこう言った。とあるメディアの取材での会話である。
「現代の農業技術の中には、考えることを奪ってしまうものがある・・・」

 草(雑草)を生えないようにするためにどうすればいいのか?たぶん多くの稲作生産者はこういう答えをするだろう。
「除草剤を使うべし。」
簡単な方法で、しかも低コスト。とても便利な道具、まさに魔法の杖。しかしそれを使うことで人は草がどういう仕組みで生えてくるのか、それについて考えることを止めてしまう。それどころか水田稲作という2500年前ないしは3000年前から研鑽してきた技術の意味さえ忘れてしまうかも知れないのだ。
逆に草(雑草)の生える仕組みを知ろうと観察し考えることで、その仕組みが理解できると、それらを除くのではなく、抑えるための作戦が立てられる。そこに人の技、技術が生まれる
言葉にすればごく基本的な技術、先人たちがごく自然に取り組んできたこと、あたりまえのことをあたりまえに行うことだった。

 田圃平らに作ること。
水漏れを起こさないように畦をしっかり整備すること。
微生物や乳酸菌、麹菌などを多様な生命のいる土であること。
それらが自然な形で存在できるために土を深く起こさないこと。
雑草という草はなく稲もその草の一部だと知ること。
苗を別に育て移植するという技術の意味を知ること・・・・・。

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真面目に語ったかと思うえば踊り出すことも・・・?松下の脳みその引き出しには様々な思考の産物があると見た。

 例えばこのようなことに意識を向け思考することで多くの人達が雑草と呼び毛嫌いする生命のひとつひとつを、論理的に理解することができる。理解が進むと、むやみに嫌わず彼らと住み分けすればいいことに気付く。
そうやって生まれたこの水田環境には、この時期多くのトンボが集まり、そして舞う。彼らは何故集まるのか?
答えは簡単。次の命を育むために、最も効率良くエネルギー確保でき、次世代が安全に暮らせ、またその次の世代命のバトンを渡せるような自分たちに有利な場所を選んでいるから。
また微生物や菌類が多様かつ豊富に住みその居場所が安定していることは、稲以外の草が侵入してこない。彼らは何故侵入しないのか?
田圃の中の乳酸菌類が活動する時に生成される有機酸が草の発芽を阻害するからだ。そういう環境は草たちにとってあまりにもリスキーで居心地の悪い環境であるから無理に侵入するより他の場所に安住の地を求めるのだ。
そうやって草が邪魔せず稲だけとなった田圃では、その水田に施された栄養素とその水田に降り注ぐ太陽エネルギーを独占し、それらによって合成されたエネルギーを米粒として効率良く固着化できるというわけだ。

 現代に生きる農業人はかつて先人達がしたくてもできなかった様々な魔法の杖を手にすることができた。ただしその魔法の杖の中には思考を奪うもの奪わないものがあることに気付いてみてはどうだろう。
もし今、思考を奪わない魔法の杖だけを持って水田稲作に向かえば、先人達も羨むような洗練された稲作、迷信たちの住む隙間のない稲作が可能だと思う。
ニッポンの稲作の歴史が人の技の歴史とするならば、今はその本流に戻しさらに磨きを掛けることができる絶好の時代のように私には見えるのだが。
今回はちょっと生意気なことを書いてみた。

 

一ヶ月ぶりに「あさひの夢」を見た。20年産はやや短稈(背が低い)8月の夜温と雨のせいと見ている。今年は体作りにまわすエネルギーをさっさと切り上げ、米粒の方へまわす算段をしているらしい。それにしても姿がいい。一昨日新潟三条市で見た長稈のコシヒカリBLの姿にも惚れ惚れしたが、それに負けず劣らずすばらしい。いっぽう「ヒノヒカリ」は出穂期(穂が出る時期)に雨に叩かれ擦れによる不稔(実が入らない)が目立つ。心配して田圃中心部の方に行ってみるとそれほどでもなかった。仕上がり反収は6俵台半ばと見た。昨年よりもやや少ない一ヶ月ぶりに「あさひの夢」を見た。20年産はやや短稈(背が低い)8月の夜温と雨のせいと見ている。今年は体作りにまわすエネルギーをさっさと切り上げ、米粒の方へまわす算段をしているらしい。それにしても姿がいい。一昨日新潟三条市で見た長稈のコシヒカリBLの姿にも惚れ惚れしたが、それに負けず劣らずすばらしい。いっぽう「ヒノヒカリ」は出穂期(穂が出る時期)に雨に叩かれ擦れによる不稔(実が入らない)が目立つ。心配して田圃中心部の方に行ってみるとそれほどでもなかった。仕上がり反収は6俵台半ばと見た。昨年よりもやや少ない分、残った米粒の充実度は高いはずだ。過去そういう年の方が食味的には魅力があった。いづれにしても稲は次世代にバトンを渡すために現在鋭意努力中である。

2008年01月28日 [ 3907hit ]
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