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7月27日号 プール、稲妻、出穂。

 今日は午前中から30度を超える暑さである。いつもなら扇風機だけで眠りにつける三階の寝床も、夕べはあまりの暑さについにエアコンのお世話になった。そういう日が日曜日である場合、決まって我が家の3匹のガキどもは朝から「プール!プール!」の大合唱となる。早速、店の裏手にリクエストどおりプールを設え、午前中はそこで水遊びとなった。彼らがそろそろ飽き始めた昼近くなると、雲行きがだんだんと怪しくなり始めた。と思った直後、大粒の雨が降り始めた。
地表面が暖められてできる上昇気流によってできた積乱雲が上空の冷たい空気に冷やされ、水滴となった瞬間に重力に引っ張られて地表面に落下する。それが雨だ。その落下した水滴が地表面に落下するやいなや、また気化を始める。液体が気化する時には熱を奪う。それによって我々人間には「涼しくなった」と感じるわけだ。熱の交換作用を判りやすく体感するにはうってつけの日曜日である。

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不安定な天気を象徴するような空模様。しかしその動きは見ていて飽きない。時折、稲妻が走る。稲妻とは読んで字のごとし稲の妻と書く。その意味するところは諸説あるけれど、稲妻が起こると豊作になることがその所以らしい。稲妻が起こす電気によって空気中にある80%の気体の窒素の一部を植物が利用可能な窒素化合物に化学合成する。その窒素化合物は雨によって地表へ運ばれ、稲の肥料となり収量を増やすという。かつて化学肥料のなかった時代の人々にとって、雷鳴は豊作を予感させる豊かな響きだったに違いない。

 いつの間にか、うとうとと昼寝に興じてしまった。ふと目を覚ますと雨が上がっていることに気付いた。ちょうど午後3時ごろだった。眼が覚めた時、ふと田圃が気になった

 「早生は、出穂したかな・・・」

 そう思った瞬間にカメラバッグを片手に車で藤枝へ走った。バッグの中身を確認せずに出てきてしまったことが気になったがとにかく走った。いつもの神社横のスペースに車を停めて、バッグを開く、デジタルと銀塩どちらもちゃんと入っていた。しかもマクロレンズも。出穂中の稲の様子をまじかで撮影するには接写専用のマクロレンズが必要だからだ。

 予想通り早生品種カミアカリ出穂し始めたところだった。茎の腹の部分が膨らんで今まさに内なる世界から湧き出るようにして外の世界へ出ようとしていた。その姿は人が生まれるその時とオーバーラップするくらい神秘的ですらある。
じつは私にとってこの瞬間を見ることはこれまでの10年間でもあまり見る機会が少なかった。そんなわけで直感的、いや思いつきで田圃に走った甲斐があった。

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松下圃場唯一の早生品種「カミアカリ」。ちょうどその出穂(しゅっすい)の場面をまじかで見ることができた。この後、一ヶ月ほどで「ヒノヒカリ」や「あさひの夢」もこの場面がやってくる。この時は何度見ても嬉しくなる。新しい生命、次世代が生まれる瞬間だからだろうか。チャンスがあれば多くの人に見てもらいたい。ご近所に田圃のある人はぜひ!

 ところで、このコンテンツの主役はカミアカリではなく「ヒノヒカリ」と「あさひの夢」。こちらの田圃の様子も報告しなくちゃいけませんね。(すみません)
この二つの品種はどちらも中生品種でどちらかと言えば「ヒノヒカリ」の方が収穫時期はやや早い。いっぽうの「あさひの夢」は中生の晩。静岡ではヒノヒカリより1週間か10日ほど収穫時期が後になります。陸上競技に例えるなら中距離走選手の800mと1500mに例えると解りやすいでしょうか。
この両名とも今のところ生育状態は申し分なく、今はひたすら体作りに励んでいる最中です。今後順調に生長すれば8月中旬頃からお腹の中で幼穂(ようすい:穂の赤ちゃん)が作られ8月末か9月初旬出穂の予定です。そして夜温が下がる頃にちょうど登熟期(籾の中にデンプンを蓄積する時期)に入るようなプランです。

 田圃は1ヶ月前のあの多様な生物の躍動するにぎやかさはなく、稲の青々とした香りを吹き抜ける風に包まれているだけである。しかしまたそれがいい。行楽地やプールもいいが、この時期の田圃をただ歩くだけでいい。風を感じ、香りを感じただ歩くのだ。ただし午後からは時折、天然モノの窒素肥料散布が稲妻とともに行われるので、その点ご注意あれ。

 

気がつけば雨が上がっていた。今日降った雨の中の窒素を肥料として換算するとどれくらいの量なのかと空を見ながら想像してみた。化学肥料登場以前の人々はきっとそういうことがとても気になっていたに違いない。とすれば稲妻を見る見方も、今のそれとはだいぶん異なるのだろうとも想像できる。今生きる人の感覚とはやはり化石エネルギーを物差しとした感覚なのだとあらためて思う。そういう時代が続くほうがいいのか?それとも違う物差しを用意する時代がやってくるのか?あるいは個々の人が、その人自身の物差しを作るのか?いづれにしても近い将来気がつけば雨が上がっていた。今日降った雨の中の窒素を肥料として換算するとどれくらいの量なのかと空を見ながら想像してみた。化学肥料登場以前の人々はきっとそういうことがとても気になっていたに違いない。とすれば稲妻を見る見方も、今のそれとはだいぶん異なるのだろうとも想像できる。今生きる人の感覚とはやはり化石エネルギーを物差しとした感覚なのだとあらためて思う。そういう時代が続くほうがいいのか?それとも違う物差しを用意する時代がやってくるのか?あるいは個々の人が、その人自身の物差しを作るのか?いづれにしても近い将来、物差しを変えなくてはならない日がやって来る予感がする。

2008年01月28日 [ 3398hit ]
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