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6月9日号 それでも化石エネルギーに頼るのは。

 有機農業という言葉の響きの中には「自然な農業?」、あるいは「地球にやさしい?」なんてイメージを持つ人もいるだろう。まあ、かつて何も知らなかった私だってそういうイメージを持っていたけれど。

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石油の価格が上昇している。今日、車にガソリンを入れたらリッター170円だった。世界を一瞬のうちに駆け巡るマネーの仕業?需要と供給のアンバランス?様々な要素が複雑に絡み合っているのか、それともシンプルな話しなのか?その実体はわからない。それでも田植えはガソリン(化石燃料)を使って作業する。10町歩近い面積を松下たった一人でやるために。

 しかし、実際の現場はそう単純ではない。まあ水田稲作は「自然環境と最も調和した農業」という評価もあることだし、さらにそれを有機農業で行うのだから、まあ「地球にやさしい」と言えなくもないのかもしれない。しかしその有機水田稲作でさえ、作業スタイルまで細かく見ていくと、これがまた様々なのである
すべての作業を人力で行うスタイルから、松下のように機械をフルに使うスタイルまで、かなりの幅があるのだ。また田圃に水を引くための用水だって、それを都合よく運用するためには、多くのエネルギーを使っている。だから有機水田稲作だからと言って、ひと括りにして「地球にやさしい」なんて安っぽいキャッチコピーで語るほど簡単なことはではないのだ。
それでもあえて評価をするなら、農薬に頼る稲作よりも使わない稲作のほうが「良いような気がする」とか、二酸化炭素の排出量の少ない方法のほうが「良いような気がする」という程度の観念的なところでしか評価できないのが私の正直な意見だ。

 またある時、「投入したエネルギー量に対して得られたエネルギー量の収支で見たとき、得られたエネルギー量優っていれば良い」と言った人がいたけれど、これはまた論点が違う。得られたエネルギー量さえ多ければ、何をしても良いというわけではない。それどころか、現代の稲作は、得られたエネルギー量よりも、投入したエネルギー量の方が多いという研究結果があると聞いたこともある。
それでも見た目の収支があっているように見えるのは、地球がかつて何億年もの歳月をかけて蓄積したエネルギーを、安価で収奪しているからなのだとも思える。しかしそうやって安易に使ったエネルギーの代償はやっぱり支払わなくてはならないようだ。その一つが地球温暖化に象徴される出来事の根源なのだと思う。

 そんな解ったような事を書いている自分でさえ、今週中が田植えの最終週と聞けば、自動車に乗って急ぎ田圃へ走る。梅雨時だからフロントウインドウが曇らないようにと、エアコンのスイッチも入れる。リッター16キロ、割と燃費の良い車とはいえ、化石エネルギーを使っていることには何も変わりない。たった体重60キロ弱の私と私の興味を田圃へ移動させるために。
目的地の田圃では、松下が大型トラックに田植え機と苗を大量に積んで、自宅から離れた田圃へ出向きエンジンの音を響かせ雨の合間を縫って急ぎ田植えの作業をしている。「もったいない・・・」と言って、止まれば即エンジンストップしているとはいえ、化石エネルギーを使っていることには変わりない。有機で美味しい米を栽培し、食べてくれる人に喜んでもらうこと。それが自らの生業として生きていく糧となるために。
そんなごく日常的な風景の中、俺たちは加害者ではないと思っている。でもその日々の努力の中に加害者的要素が潜むことにも同時に気付いている

 莫大なエネルギーを使って大気圏の外、宇宙と呼ばれるエリアに人は行く。かつてアポロ8号宇宙船が月から見た「地球の出」という写真を撮った。カメラはハッセルブラッド。その一枚の写真によって漆黒の宇宙に、自らが住む青く光る小さな地球を人類は初めて見たのだ。
莫大なエネルギーを代償にしても、あの一枚の写真を撮影できたことは人類進化において重要な出来事だったと思う。またそれを信じている。僕らが努力だと信じている、このごく日常的なことと同様に。

 

有機で水田稲作をはじめて今年で16作目、小さな田圃が点在するこの土地で、たった一人、自ら理想を実現するためにできることは何でもやってきた。使える道具何でも使った。ないものは自分で作った。技術を学ぶために大量の本も読んだ。またある時は知っている人のところへ行き話しを聞いた。それでも解らないことは自分で試行錯誤した。そうやって年々少しずつ、良い米が育ってくれるようになった。それを人は努力というはずだ。では、その努力に要したエネルギー量はどれくらい?有機で水田稲作をはじめて今年で16作目、小さな田圃が点在するこの土地で、たった一人、自ら理想を実現するためにできることは何でもやってきた。使える道具何でも使った。ないものは自分で作った。技術を学ぶために大量の本も読んだ。またある時は知っている人のところへ行き話しを聞いた。それでも解らないことは自分で試行錯誤した。そうやって年々少しずつ、良い米が育ってくれるようになった。それを人は努力というはずだ。では、その努力に要したエネルギー量はどれくらい?

2008年01月28日 [ 3190hit ]
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