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4月27日号 ここから生まれる米がある。

 日曜日ふと思い立って田圃へ向かった。それはもうそろそろ最初の種まきをやっている頃だと思ったからだ。
行ってみるとビンゴ!正解だった。朝から種まきを始めちょうど今、整地された苗場に種を撒いたパレットを一枚一枚並べ、その上から銀色のシートをトンネル状に被せる作業をしているところだった。

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苗場は毎年完璧に平らに整地する。贔屓目に言えば枯山水的な整然とした雰囲気がある。その周囲では田圃の宅地化が少しずつ進む。ここはまるで宅地に囲まれたオアシスのようでもある。

 「よお!どうだい?仕事の進み具合は?」
「まあようやく1日遅れくらいまで追いついてきたよ・・・」
「遅れてたのか?」
「4月にしちゃあ雨ん多くて、田圃に入れなくて参ったよ・・・」

 例年ならこの時期順調に進む田圃の整備と種まきが、今年はこれまでずっと遅れていたという。それは4月にしては珍しい長雨のせいらしい。
いつものように、そんな話しを苗場で話しをしている時、ふと背後に見える風景が変わっていることに気がついた。

 「あれ?あそこも家が建つのか・・・?」
「たしか、あそこは小さな田圃だったような気がするけど・・・?」

 つい20年前には田圃しかなかったこの界隈も、80年代から急速にベットタウン化した。しかし表面的には宅地化され風景が変わったが、大井川の氾濫原たる志太平野の個性は今も変わらない。

 「抜けの良いザルのような田圃」。

 志太の個性を松下はこう言う。
その抜けの良さが、野生的な強い稲を育み、収量は望めなくとも質の良い美味しい米を生む基盤だった。しかし時代は流れ、化学肥料という打ち出の小槌を手にしてからは、抜ける以上に大量の肥料を与えることができる時代になった。それと同時に、志太でできる志太らしい米絶滅していったように思う。その個性がなくなった時、それを育み続けてくれた土地はいつの間にか宅地化の道を歩むことになる。
しかしこういう意見もある。
宅地化できるだけの価値を持っているだけいいじゃないか・・・」
その言葉を聞いて返す言葉を失った。

 帰り道、新幹線横の田圃も見て回った。いつもどおり稲荷神社でお賽銭を入れ、今年の無事を祈願する。社の正面は日本の大動脈東海道新幹線が走っている。その下を車一台分がやっと通り抜けられそうな小さなトンネルを抜けるとその田圃はある。
小さいながらも、とてもコンディションの良い田圃だ。昨年はこの田圃でカミアカリを栽培した。今は春草しかないその田圃の横を超特急が大勢の人を運んで走っていく。
車窓の向こうに、この田圃を一瞬でも見る人はたくさんいるだろうけど、その田圃で何が生まれているかを想像できる人はきっと僅かだろうな・・・」
そんなことに思いを馳せながら、轟音とともに走り去る超特急を背後に感じながら、これから始まるこの田圃の出来事を想像した。

 

東海道新幹線に分断された変形の田圃。じつはこの田圃のコンディションはかなりいい。毎年早生系の品種を栽培している。昨年は巨大胚芽米カミアカリを栽培した。稲荷神社の社を通ってトンネルの向こう側にその田圃はある。神社で手を合わせ、トンネルを抜けるという過程が、この田圃に行くことのアプローチとして何か特別な感じがする。そういうところが好きなのだ。興味のない人が見ればごく有り触れた退屈な風景なのかもしれないが。東海道新幹線に分断された変形の田圃。じつはこの田圃のコンディションはかなりいい。毎年早生系の品種を栽培している。昨年は巨大胚芽米カミアカリを栽培した。稲荷神社の社を通ってトンネルの向こう側にその田圃はある。神社で手を合わせ、トンネルを抜けるという過程が、この田圃に行くことのアプローチとして何か特別な感じがする。そういうところが好きなのだ。興味のない人が見ればごく有り触れた退屈な風景なのかもしれないが。

2008年01月28日 [ 3175hit ]
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