ここが発見した場所だよ。
ハワイのホノルルでカミアカリを販売している the rice factory honoluluの店長のKさんが、カミアカリ発見の地を見たいと遠路はるばる松下の田んぼへやってきた。思えば松下が巨大胚芽の突然変異を、この田んぼ中で発見したのが98年、あれから20年が過ぎカミアカリは海外へも輸出されるようになった。この20年はあっという間だったが、こうして販売を担当している人を田んぼで目の当たりにすると、20年分の仕事はそれなりのことはあったのだとあらためて実感した。ところで彼ら海外でカミアカリを販売している人たちは、この発見の地を大げさにも「聖地」と呼んでいる。つまりKさんにとって今日は「聖地巡礼」なのである。
東海道新幹線の車窓からも見える田んぼなんだよ・・・。
そんな話をしている背後をひっきりなしに新幹線が行き来している。たぶん一日に何万、何十万人もの人々がこの田んぼを視界の中に捉えるはずだ。けれど、この場所が大発見の現場とは誰も気づかない。それがちょっぴり痛快なのだ。という意味のことを僕はKさんに説明しながら、やや速度を落とし静岡駅へ向う上りのN700系に手を振った。
ほ~ら、また阿呆が手を振ってるぞ!って言ってるよ・・・(笑)と、松下。
考えてみればカミアカリの発見が二十歳そこそこの若造の頃だったら、知識も技術も未熟過ぎて手に負えなかっただろう。また逆にもっと高齢だったなら、カミアカリをカミアカリにするための気力体力が続いただろうか?考えてみれば、僕たちの学びが本格化し有り余る情熱を出力する前夜の30歳台半ば、松下の手によってカミアカリは発見された。ゆえにカミアカリはこうしてカミアカリであるのだ。奇しくも、海外でカミアカリ販売を挑戦している彼らは、カミアカリを発見した頃の松下や僕と同じ年恰好だ。そんな彼らは今、さらに歩みを進めようと計画中らしい。彼らの有り余る情熱はカミアカリをどこへ連れて行くのだろうか?旅はまだまだ続きそうである。
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