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松下高野8月15日号 田圃を渡る風に吹かれながらの巻

 米のオリジナリティって何だろう? 田圃の畔で松下くんや高野くんと会話する中でいつも感じることだ。お盆休み、藤枝の松下くんのヒノヒカリ、菊川の高野くんのあいちのかおり、それぞれが栽培されている田圃の畔で、そこを渡るなんとも心地よい風に吹かれながら考えてみた。

 松下くんとこのプロジェクトを始めた5年前から松下くんには松下くんなりの他とは違うらしさ」は感じていた。その「らしさ」は今年からこのプロジェクトに加わった高野くんの米にも感じられる。それが米のオリジナリティというものではないかとか思っている。そう思うのは同じ品種の米を栽培しても生産者ごとに微妙に異なる違いがそこに存在するからだ。では、その違いとは何に起因するものなのだろうか?

 例えばそれは、田圃に住む微生物やそのエサとなる有機物やミネラルであったりする。微生物は森から運ばれて来ることもあれば、ぼかしなどを介して人為的に入れられるものもある。ミネラルもまた同様である。たったこれだけのことでも生産者によって微妙な違いが現れる。そんな細かな違いの累積が生産者一人一人の「らしさ」であり「オリジナリティ」の要因なのかもしれない。

 その昔は、その土地に根ざした肥料原料となる有機物やその土地の自然環境がもたらす水や土壌や日照条件など、その土地ならではの諸条件を良くも悪くも受け入れたところでその土地ならではの栽培方法が編み出された。その結果、地方色豊かなオリジナリティある産地米というものが意図することなく生まれてきたように思う。昔がすべて良いとは決して思わないが、この意図的でないところが大事なような気がしている。いっぽう現代は、どんな諸条件でもそこに足りないものは化石エネルギーのスーパーパワーによってほとんど何でも手にすることができるようになった。微生物が必要なら微生物を、ミネラルが足りなければミネラルを、有機物だって地球の裏側からやって来るものだってある。その最たるものはチッソ、リンサン、カリの化学肥料である。微生物が有機物を分解することによって肥料分とするやや博打的なプロセスから解放してくれる魔法の肥料。けっして化学肥料が悪いと云っているのではない。足りないものをリスクなくどのように補充するか?先人達が喉から手がでそうなくらい欲しかったものが現代では簡単に手にすることができるようになった。これはある意味では、とてもすばらしいことなのである。

 しかしそれによって全国どこでも似かよった味や風味の米が生まれていった。というよりそういう米を僕ら多くの日本人は嗜好してきたような気がする。それはすべて「偏った良食味信仰」が成せるものではないかと思っている。この「偏った良食味信仰」を崇拝してきたのは紛れもなく僕自身でもあるのだが・・・。

 米は美味しいほうが良いに決まっている。しかし美味しい方向が一方向では少し不自然で、ある意味においてはひ弱でもある。多様な美味しさがなくてはいけない。そういう米が生まれるには、もう一度先人に学びネガティブと思われていた要因をポジティブ要因として捉えなおす必要がある。そこからはきっとその土地に根ざした有機物や微生物や水、それらに根ざした栽培方法が見えてくるだろう。そしてなによりもその土地の個性を見抜くことができオリジナリティを重んずる発想や多様な美味しさを嗜好する感性を持った人も生まれるような気がするのである。

現代においての米のオリジナリティとは皮肉にも意図的でないと生まれない時代のようである。


ヒノヒカリ


ヒノヒカリ


あいちのかおり


あいちのかおり


あいちのかおり

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「あいちのかおり」を愛でる高野くん。近年稀に見る順調な生長ぶりに麦藁帽子の向こうはご満悦。
「あいちのかおり」を愛でる高野くん。近年稀に見る順調な生長ぶりに麦藁帽子の向こうはご満悦。
2005年01月27日 [ 3114hit ]
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