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松下高野7月17日号 「自転車で田圃へ行く」についてのお話しの巻

 海の日は自転車で田圃へ行く。自転車愛好家というほどのマニアではないが、人力のみで走る乗り物で、行きたい所へ気の向くまま知らない道を繋げて迷いながら走ることが楽しくて、いつのまにやら仕事半分、遊び半分という気分で、ここ数年自転車で田圃に通うようになった。そしてやっぱり今年も梅雨明けまじかのこの日に行くことになった。早起きしてお結びを作りそれを燃料に、おなじみ藤枝の松下くんと菊川の高野くんそれぞれ田圃。往復140キロの自転車旅は午前9時出発した。

 いつもなら一人旅と決め込んでいたのだが、今年は心強い同行者を得た。自転車文学研究室主宰、白鳥和也さんである。以前Who’s Whoにも寄稿していただいた彼は自転車旅のオーソリティ。「素晴らしき自転車旅 サイクルツーリングのすすめ(平凡社新書)」や「スローサイクリング 自転車散歩と小さな旅のすすめ(平凡社新書)」、「静岡県サイクルツーリングガイド(静岡新聞社)」などの著作がある、その筋では知られた存在なのだ。蛇足であるが最新刊の「スローサイクリング〜」には僕もN氏という表現でほんの少しだけ登場しているので是非読んでいただきたい。

 では本題に入ろう。じつはこの「自転車で田圃へ行く」ことは、単なる僕の趣味だけではない米への興味の延長線上にある行為なのである。これまで田圃からお茶碗に至るお米のすべてを知りたいと、田圃へ通い、炊飯の勉強もしてきた。もちろん未だにこれらの勉強は現在進行形ではあるのだが、さらにご飯になった米のその先に何があるのか?との関心が今こうしてペダルを踏み前進する自転車に乗ることで知ろうと試みているのだ。

10:00旧東海道、太平洋自転車道などを繋ぎ宇津ノ谷峠通過、岡部町〜藤枝に入る。道端の道祖神や見知らぬ神社を参拝したり、軽便鉄道跡の自歩道などの探しながら走り11:00松下くんの田圃に到着。松下くんに田圃近況を聞きながら16年産松下×安米ヒノヒカリのお結びをほおばる。7個用意したがいっきになくなる。

 松下くんは稲の栽培についてよく云う言葉がある。「無から有は発しない」つまり田圃の土中エネルギーとそこに降り注ぐ太陽エネルギーが稲という生命体を介してエネルギー変換し固着化したものがであることを意味している。反収7俵収穫できる彼の田圃には、必ず7俵分以上のエネルギーがそこに存在したということなのだ。その米を僕らはご飯というカタチに加工し毎日食べている。食べることで体に摂り込み、稲と同じように生体システムによってエネルギー変換し日々の仕事や生活の諸々の事に姿を変えている。しかしながら僕らはその部分のエネルギー変換を、たぶん無意識的に行っているはずだ。そこで、この無意識的に行っているであろうエネルギー変換行為を自転車という人力空間移動装置に託して意識化しようと考えたのだ。

12:30松下くんの田圃出発。大井川に架かる世界最長の木造歩道橋脚である蓬莱橋を渡り、大茶園として有名な牧の原台地へ入る。気温30℃以上の蒸し暑い中、2つほどきつい峠をやり、15:30丹野池畔で休憩。しばしそこで行われていたラジコンヨットの全国大会を眺め、その静かでジェントルな遊びに見入る。16:00出発、相良〜塩尻(長野県)に続く「塩の道」を一部トレースしながら菊川に入る。

 持参したお結びを食べることで得られるエネルギーは、走る推進力や走りながら様々な物を見、様々に考え、様々に思いをめぐらせるコトに次々とエネルギー変換されて行く。これらの行為でもって生まれるものは非物質的とも云える時間や空間そして想像(イマジネーション)である。端的に云えば想像とは夢である。ご飯となったは人間生命体によって「」にエネルギー変換されるのだ。

16:00予想以上に早くお結び燃料が尽き市内のコンビニにて食料補給。17:30高野くんの田圃に到着。夕日迫るあいちのかおりの田圃で高野くんと稲のこと、自転車のことなど話す。今年良い米ができたら「僕も自転車乗ってみようかな・・・」と高野くん。18:30復路出発。菊川駅付近で日没。牧の原台地を越す最短の峠をやり金谷への尾根道を行く。途中の知人のオートバイ屋Windsocksにて休憩。店主松下氏に「これから静岡まで走るんだよ」と云ったら、呆れ顔で「マジですか?」と云われちゃいました(笑)。20:00金谷駅前通過。21:30島田市内のラーメン屋でバレーボール観ながら食糧補給。国道一号線を追い風時速30キロで疾走。23:00自宅に到着。23:30布団の中へ倒れ「自転車で田圃へ行く」実験、無事終了。

 こうして考えてみると、人間のもっとも人間らしい仕事、食物連鎖のアンカーとも云える知性を持った生命体としての人間の最も重要な仕事の一つが、この「夢」を描くことのように思われる。人間らしい思考を司ると云われる大脳新皮質という部分で、胃腸薬を飲んでまで摂取した莫大なエネルギーを消費する人間の脳の真骨頂とは、この「夢」を描く仕事のことなのではないだろうか。食物連鎖の最終段階におけるエネルギー変換とは、「夢」という想像的あるいは精神的なモノへの変換だったと、ペダルを踏みながら想像してみたのである。30度の炎天下の中、あえて自転車で田圃で行くことは現代社会からすると酔狂なはなしだと思われるだろう。しかしこんなことまでして夢を作りたいと思うことに、人間が人間であることの「希望」があると思うのだ。

 さて、少しは田圃の様子をご報告しなくちゃいけませんね。松下くんに依頼しているメイン品種「ヒノヒカリ」の田圃は成育順調で葉色も例年のこの時期よりも濃く、ここに来てこれまでの遅れを一気に追いついた様子です。稲本来の太陽光いっぱい受け取るあの扇型の姿で、今のところ文句なしの生長ぶりでした。一方、高野くんに依頼しているメイン品種「あいちのかおり」もこれまた文句なし。初期の田圃整備に少々不備があったためか高低差ができ、そのせいで高い部分での雑草の繁殖が気になりますが、稲そのものは松下くんのヒノヒカリ同様に扇型の美しい形状で葉色も濃く健康そのものという印象を持ちました。高野くんの現状分析によれば、土壌中の窒素成分は収穫まで充分とのこと、ただし燐酸不足のために燐酸を単肥で施すとのことでした。両生産者とも8月末には出穂の予定。それまでの1ヶ月半、日本列島が最も暑い期間に稲はしっかりとした体を作る過程に入ります。

 今こうしている時も、太陽エネルギーと土中のエネルギーがエネルギー変換されて、刻々と稲の体を作り、出穂の準備をしていると想像するだけで、僕は何だかワクワクする気分になるのです。


matsu & kazu


ヒノヒカリ


ヒノヒカリ & 自転車


蓬莱橋


大井川


taka & kazu


あいちのかおり

今回の時間はこちら
夕刻迫る「あいちのかおり」の田圃。稲を眺めながら旅のはなしをする白鳥さんと高野くん。
夕刻迫る「あいちのかおり」の田圃。稲を眺めながら旅のはなしをする白鳥さんと高野くん。
2005年01月27日 [ 3116hit ]
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