13年後

 

松下とこのプロジェクトを始めて間もない頃、よく友人や知人、お客様を集めて田植え体験をやっていた。
13年前、当時小学生でその田植え体験に来ていた子が、大学4年生となって田んぼに帰ってきた。
聞けば松下の著作「ロジカルな田んぼ」(日経プレミアムシリーズ)を偶然読み、
この場所は知ってるところだと気づいたのだそうだ。

彼女はつい最近までアメリカへ留学しインターンシップでオレゴン州のオーガニックファームで働き、
そこでの体験で食と農、とくに有機農産物について多くの発見をした。
と同時に、どこか腹に落ちない感覚を持って帰国したそうだ。
それが何であるのか確かめたくて悶々とする中、松下の本を手にとった。

豊かさとは何だと思いますか?

彼女の松下に対する最初の質問はこうだった。松下は少しだけ考えた後にこう答えた。
今日、食べるものがちゃんとあって生きることができてること・・・かな。

俺が子どもの頃、友達を家に呼ぶのが嫌だったんだ。なぜだかわかる?
米や野菜はもちろん、味噌も醤油も全部自家製でお婆ちゃんが作っていたんだ。
マヨネーズだって鶏舎から卵持って来て、その卵に油と酢を入れ撹拌して作った。
畑から引っこ抜いてきた野菜にそのマヨネーズをつけてバリバリ喰うんだ。
その頃は釜戸もあってさ、飯は薪で炊いていたんだよ。
今思えば、もの凄い贅沢なものを食べていたと思えるんだけど、当時はそれが恥ずかしくてしかたなかったんだ。
とてつもなく貧しく見えていたんだよ、その生活が。

でも学校でキャンプへ行った時に、俺は味噌を持って行ったのね。2年寝かせた真っ赤なやつ。
それでみそ汁作ったら、他の父兄が美味しい美味しいってガブガブ飲むわけ、
この味噌どうしたの?って聞かれたから、お婆ちゃんの自家製だよ。たぶん2年くらい経ったやつっ て答えたら、
なるほど〜どうりで〜って、その父兄は嬉しそうに言ったんだ。
その時始めて気づいたんだよ。その味噌の価値と自分の生活がまんざらじゃないってことを。

それとね、自分が貧しいと思い込んでいた生活は、一朝一夕でできたわけじゃないんだってことを後で気づくんだ。
田んぼだって畑だって、何代も掛けて今の状態になったんだよ。
俺の親父が最後の世代だと思うけど若い頃に開墾したって言ってた。
モッコ担いで山の土を運んぶんだ。キツいしごとで嫌だったそうだ。
うちの先祖は8代前にこの土地に入植したそうだから250〜300年掛けてようやく今の暮らしができるようになったわけね。
だからご先祖さんに言わせりゃ、俺が恥ずかしいと思ってた生活は「夢に見た豊さ」そのものだったはずなんだ。
つまりさ、人が生きて存在できてるということは、そこに生きられるだけのエネルギーが確保できている証拠なんだよ。
それが可能になったことを「豊か」ということなんだと思うよ。俺は・・・。

彼女が通う大学のある東京や留学したオレゴン(アメリカ)で知った有機農業への取り組み(生産〜販売)は
主に環境問題や食の安全などがきっかけで取り組まれているケースが多いという。
また彼女自身も、そういう文脈こその有機農業だと思っていたそうだ。
オレゴンでは、そうやって栽培された農作物は、きちんとしたプレゼンテーションで魅力が伝えられ
有機をし好するユーザーたちに心をつかむ。
彼女自身、野菜で衝動買いしたのは初めてだった。と、いうくらいなのだから・・・。
ただし、そのユーザーの多くは富裕層だったそうだ。
つまり経済的に豊かな人たちにが、よりその豊さを享受するがための有機農産物、という図式が見えてくる。
そこで彼女は思うのだ。「豊かさ」とはそもそも何のことを言うのか?と。

俺らが生まれた昭和38年頃から、そうだな〜昭和42年には米が余るようになった。
どうしてだかわかる?
化石エネルギー、つまり石油で動く重機で開墾がどんどん進み田んぼの面積が増えた。
ありとあらゆるところにエンジンやモーターのついた農業機械が普及していった。
それに農薬と化学肥料、あれはまさに打ち出の小槌、農家にとっては麻薬的ともいてる代物だった。
だって、苦労してや山から落ち葉をかき集めて堆肥をつくって田んぼを肥やしても思うように収量が増えないのに、
化学肥料をパラパラっと撒けばいっき収量が増えた。そりゃあ、うれしいに決まってる。
うちの親父はあの頃のことをこんな風に言ってた。
「数年でこんなにも変わるなんて思いもしなかった・・・」
毎年悩まされた病害虫被害も農薬で完璧に抑えられた。
当時の農家にとってこれこそが「豊かさ」だったんだよ。
今思えば、あのまま有機稲作が慣行農法だったなら、反収は良くて5〜6俵、今頃減反しなくても良かったかもしれない。
でもあの当時は、そういう選択肢を想像できなかったんだ。
俺が子どもの頃、自分の家がとてつもなく貧しく見えていたように、当時の農家にとっては、有機稲作は貧しく見えていたんだと思うよ。
それに比べて化学肥料で簡単に収量が増えることは「豊か」なことそのものだったんだ。
そういうもんだと思うよ。

たった2時間半の滞在にも関わらず彼女はすっかりお腹いっぱいになった。
今日見聞きしたこと、消化するまでしばらく掛りそうです。なんて言ってた。
帰り道、彼女が松下の田んぼで体験したことと、どこか関係する気がして友人の作家の作品のことを話してみた。


台所のシンクに注がれる水、どこから上水でどこから下水だと思う?
水は蛇口から出てシンクに落ちた瞬間に下水になるんだ。
人が利用する水とは、このわずか一瞬の水のことなんだよね。

厳密なボーダーはあると思う?
上水と下水
有機と無機
豊かさと貧しさ
黒と白
僕にはぜんぶ一つのことに見えるんだけどね。
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何ともまとまりのない文章ですが、筆が止まらずいっきに書いてみました。

 

2014年11月15日 [ 5534hit ]
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