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カミアカリツーリズム庄内「齊藤カミアカリを訪ねる」

 

 

 現在カミアカリは全国でたった4人の生産者のみが栽培しています。毎年、2月頃にその年の作付量を販売者らと相談し決定します。その数字をもとにカミアカリの育成者でもある静岡県藤枝市の松下明弘さんが種籾を準備し、ご自身を含む4人の生産者のもとへ種籾を配布し栽培しています。

 

 同じ種籾を使い静岡藤枝の松下さん、福島県会津の菅井さん、茨城県奥久慈の大久保さん、山形県遊佐の齊藤さんが栽培するわけです。つまり異なる地域、異なる技、異なる人間が同じカミアカリを栽培しているというわけです。すると面白いことに、異なる4種のカミアカリが生まれます。

 考えてみれば当たり前のことですが、玄米で食べるお米で、しかも胚芽通常の3倍余りの大きな特徴を持ったカミアカリは、それぞれが持つ風味風合いの差異が一般の稲品種よりも顕著に現れたのです。これに気付いた時、その異なる部分が何によるものなのかを知りたくなりました。そこで栽培現場へ行き、土地の風土や歴史に触れ、生産者と会い、栽培中のカミアカリ見ることでその違いを生み出す構成要素を見つけ感じようと考えました。それがカミアカリツーリズムです。4人だけの生産者、それぞれの持つ構成要素を見つけるために1年にひとりずつを訪ねる旅をすることになったのです。

 

 2014年はこのツアーをはじめて5年目、東日本大震災のため休んだ年をのぞき毎夏を旅をしました。そしてようやくカミアカリ栽培最北の地、齊藤さんの田んぼのある山形県遊佐町を訪ねることになりました。

 

 初日(8/30)遊佐を訪ねる前に、庄内地方の稲作にまつわる歴史遺産を見て歩きました。

 

大政奉還後の庄内藩氏が開拓した松ヶ丘開墾記念館。
庄内地方に伝わる水稲農機具を変遷を見学。

コシヒカリやササニシキといった現代稲品種開発にとってたいへん重要な明治時代品種「亀ノ尾」その発見者、阿部亀次が明治26年(1893年)亀ノ尾のもととなる突然変異株を発見した場所、熊谷神社へ参詣。

庄内平野をはじめ、山形の内陸地方から産出されたお米を北前船に積み込む前の集積地。酒田の山居倉庫。


 2日目(8/31)齊藤さんの田んぼのある鳥海山山麓の遊佐へ入りました。


 遊佐といっても齊藤さんの田んぼは平場ではなく広大な棚田地帯の最上階でカミアカリを栽培しています。一枚の田んぼがだいたい一反五畝。その細長い田んぼがスタジアム観客席のように日本海アリーナへ向って続いています。当日は快晴、気温30℃ながら湿気の少ないカラッとした陽気。海からの風が心地いい日でした。田んぼの用水はすべて鳥海山の湧水。鳥海山山麓ではいたるところからミネラル分豊富な湧水があり、その豊富な水を利用して広大な田畑を潤しているのです。遊佐ではその湧水をテーマに見て歩きました。

 

太平洋戦争中に作った温水貯め池。
鳥海山から流れ出した溶岩流の先端から噴き出す味の異なる湧水。
毎年鮭が遡上する川はほとりの縄文遺跡。
浜辺に湧きだす湧水・・・などなど。

 

やはり現地へ行かなければ感じられないことばかり。それを文字で表現しきれないのが悔しいですが、同行した他のカミアカリ生産者二人がこんなことを言っていたのが印象的でした。


静岡藤枝の松下さんは「遊佐には静岡の暑さをあげて、静岡には遊佐の涼しさをもらいたい・・・」
茨城奥久慈の大久保さんは、「この無尽蔵な湧水を分けてほしい・・・」とも言ってた。


 だからと言って遊佐がすべてにおいて恵まれているわけではありません。むしろ厳しいことのほうが多いのかもしれません。しかし、ないものねだりをすることなく、そこにあるものでやり繰りした結果が齊藤カミアカリの実体なのです。であるように、それぞれの生産地にも同じように「そこにあるもの」によってそれぞれが生み出されているに違いありません。それが4種4様のカミアカリの所以です。

 

<SpecialThanks>
齊藤武さん 遊佐の素晴らしさを分かりやすく解説していただき感謝!26年産期待してます!
 

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画像上:26年産斎藤カミアカリ。収穫は9月末

画像中:冷たい湧水を太陽熱で温めて田んぼへ流す温水貯め池。

画像下:海に湧く湧水

 

 

2014年09月08日 [ 3794hit ]
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