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アートロ活動報告展示開催。
 
 
 
2013年連続7回に渡り、美術家の本原令子さんらと登呂遺跡で半年間に渡って行ったワークショップ、アートロ。
その活動報告の展示を登呂博物館にて3月14日より開催します。
 
このワークショップに関わることになったのは、
そもそも、今我々らの暮らしがどうしてこうな風になったのか?
その始まりが登呂村のあった弥生の頃ではないかと、漠然と考えていたことがきっかけだった。
 
稲の生長と共に半年間、毎回ハードなワークショップだったが、とても充実した時間だった。
こういう作業が美術なのか考古なのかということよりも、
参加者それぞれが持つ視点や技術でじっくりと考え、
場と時間に寄り添うことで誰も知らない答えを想像すること。それがいちばん大切だと思った。
そんな参加者たちの半年の取り組みです。ぜひお越し下さい。
 
 
ARTORO「土がぼくらにくれたもの」活動報告・展示のお知らせ
展示期間:2014年3月14日(金)〜3月30日(日)
場所:登呂博物館1F情報コーナー/観覧無料
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今回の展示のために、こんな文章を寄稿しました。
 
 
ささやかな欲求について   
 
アートロに参加した理由、それは震災によるところが大きい。
とくに原発。知らないとはなんと愚かなことか・・・。
容易に消すことのできない火が世の中にあることを知った。
「田んぼからお茶碗まで」、栽培から関わる商い、東北地方の生産者と深い関わりが商いの生命線、他人事ではなかった。
 
数ヶ月が過ぎ、ふと考えた。
そもそも、なぜ我々は消すことのできない火、つまり地上に太陽を作ったのか?
 
いつも月夜に米の飯。江戸時代のことわざにこんなものがある。
その意味は、苦労のない気楽な生活のこと。また、そうありたいが、現実はなかなかそういかないこと。とある。
 
江戸の庶民が夢見た暮らし、それは今、我々の日々の暮らしそのものだ。
欲求が実現することは豊かさの実感そのもの。
それはとても素敵なことだけど、ささやかな欲求は、またささやかな欲求を生む。
それはいつしか際限のない欲求へと肥大化していく。
まるで中毒者のように。
 
むかしむかし、大陸からやってきた画期的な農業技術、水田稲作。
それは半年間、大地に降り注いだ太陽エネルギーを米と藁というカタチで効率良く固定化できるスゴ技だった。
そのエネルギー量は現代に比べればささやかものであったけれど、
一粒が数百倍になるインフレーションは当時の人たちの抱くささやかな欲求に充分答えたれるものだったに違いない。
 
こんな仮説を空想した時、当時の人のささやかな欲求の先の先、そのまた先のまた先の、 そのもっと先のまた先のある日、
昼夜を問わず燃える火、つまり地上に太陽をつくることが「ささやかな欲求」だった。かもね。
 
だから、できるだけ最初の頃の「ささやかな欲求」を知りたくて、登呂村に旅してみたというわけです。
 
 
平成26年3月11日  アンコメ店主 長坂潔曉
 
 
ホームページURLhttp://toro-museumshop.jp/artoro
住所静岡市駿河区登呂5-10-5
2014年03月12日 [ 3231hit ]
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