「ご飯をきちんと出す店をやりたい!」と美術の世界に20年近く身を置いていた友人が一念発起。そこでお米のことを勉強したいということで週末を利用して東京からやって来た。「お米のこと」と云ってもどこから手をつけるべきなのか?栽培品種?炊飯技術?それとも・・・。しばらく考えた末、第1章は「稲という植物としての米」という視点で考えてもらうべきだろうと思った。となれば、おなじみのあの人に会わねばならいということはこのコンテンツをご愛読の皆さんにはすぐにお分かりのことだろう。松下くんのことである。 午前11:00田圃のある藤枝は昨日までの悪天候から一変して快晴、しかも暖かい。松下くんは忙しい時間を割いて僕らに会ってくれた。到着早々、第一声は「ちゃんとした素材を見つけだすことが重要ですよね。」初対面の彼らに松下くんはこう切り出した。彼らは事前にこのコンテンツには目を通していたし、道中僕なりに彼の人となりをレクチャーしておいたので松下くんのキャラクターはおぼろげながら想定していたようだったが実際のところ少々面食らったようだった。 いつもどおり作業小屋前で松下くんの米に対する考え方や栽培方法、これまでの経緯などをひととおり雑談まじりに聞いたあと、目の前の田圃に入り刈り株の一つを引っこ抜いてみせた。「根を見てごらん、よく根が張っているのがわかるでしょ」それはたくさんの根にたくさんの土をつけた直径30〜40センチ位の立派なものだった。次に化学肥料で育てた稲の根と比べて見せた。その大きさの違いは一目瞭然。またその根にこびりついた土を触ってみると全く感触が違うことが解る。土の中に住む乳酸菌や酵母菌など無数の菌類が多い証拠なのである。5年も通いつめた僕とは違い米のこと、ましてや稲のことなど今まで特別意識して接してこなかった彼らにとってはある種のカルチャーショックだったようだ。帰り際、松下くんはこう締め括ってくれた。「土とは何千年、何万年と地表生きた無数の生命(有機物)の分解したもの、年間でたった0.02ミリづつしか堆積しないんです。米はその土で育った稲の種子、生命そのものなんですね。僕らはそれを無意識に毎日食べているんですよ。」学生時代同じ大学で現代美術の洗礼を受けた友人は「これはアートじゃないか!」と僕に言った。間髪入れずに僕はこう答えた。「だから夢中になれるんだ。」
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晴天
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※ノイジーとは・・・
このコンテンツ2004のテーマは「この風味を作るもの」松下くんの手掛けるお米の持つ独自の風味の謎を探るキーワードです。くわしくは4月25日号「この風味を作るものは何か?の巻」をごらんください。