TOP  >  ankome通信  >  カミアカリドリーム  >  第1回 カミアカリ、ことはじめ。
第1回 カミアカリ、ことはじめ。
 2001年9月、田圃視察の時に松下さんからこの稲のことを知らされてから、すでに5年が経過した。そして、2006年7月15日静岡新聞の紙面で公式に発表されたのである。私にとっては待ちに待った5年であるけれど、松下さんにとっては発見の日から、もうすでに8年の月日が経過したのだ。
 
 藤枝市の有機栽培米生産者、松下明弘さんが栽培していたコシヒカリの田圃から、この突然変異を発見したのが今から8年前1998年(平成10年)秋のこと。その日、彼は収穫時期を見極めるためにコシヒカリが栽培されている田圃に入り、稲の登熟具合を手にとって眺めていた。明日から稲刈りをしようと決断しトラックに戻ろうとしたその瞬間、視界の隅に何か気になる稲を見つけた。その稲の穂を手にとって夕日に透かして見てみると、普通の籾とは違う位置に薄っすらと線が見えた。すかさずその籾を剥いて米粒を見てみると胚芽部分が通常の3倍から4倍の大きさだったのである。
 「巨大胚芽の突然変異だ!」
腰にさした鎌でその突然変異株を刈り取り、一目散に家に持ち帰りその株の大きさや籾の粒数など必要と思われるデータをすべて採取した。その日から、後にカミアカリと命名されることになる巨大胚芽米の育種が始まったのである。
 
 突然変異はどこでも発生しているという。ことにコシヒカリという全国津々浦々で栽培されている品種の突然変異なら日本中どこでも同じ突然変異が起きているはずである。しかし、これまで誰ひとりとして見つけ出し育種固定をしていなかったのである。
 私は仕事も遊びも人生のすべてが稲という稲オタク中の稲オタクの彼が、この仕事を成しえたことに感動すると同時にある種の必然性も感じています。
 彼の農に対する考え方は、これまで「アンコメ米作りプロジェクト」でもレポートしてきたとおり生命の自立性や多様性を何よりも大切に考えているところにあります。それは稲はもちろん、雑草や微生物、昆虫、そして人間・・・およそ生命と呼ばれるすべての生き物の発生の背景を考え、その意味を知り、その価値を受け入れる。たとえそれが一見異物のように見える個体であっても、尊厳を持って受け入れます。これが彼の生き物と向かい合うスタンスであり哲学でもあるのです。そんな彼だからこそ、この突然変異の稲を視界の隅に見つけ出し自立した一つの品種に育てあげたに違いありません。
 
 はじめて、この稲の存在を聞かされその米粒を手にした時のことを今でも忘れることができません。稲という人間と共に歩んできた気の遠くなるような長い歴史の瞬間に自らが遭遇していることに興奮したのです。
 品種登録出願前のこの米のコードネームはKH 1(KyodaiHaiga1)。昔あったモーターサイクルのような名前のこの米に「カミアカリ」という名前を付けたのは私です。カミアカリという名前は、その発見のエピソードからこんなイメージで命名しました。
 「稲の神さまが稲オタク松下明弘に、天から一条の光明でこの稲を指し示した・・・」というようなイメージです。アカリは「明」という文字、松下明弘の「明」の意味も含まれています。
 こうして2005年(平成17年)6月30日に新品種としての登録出願を受理され、正式な認証に向け「カミアカリ」はそのスタート地点に立ったのです。これから数年間、各地の農業試験場での試験栽培を経て新品種として正式に登録される日を待つのです。
 
 じつは登録出願の際、静岡県内の民間育種の歴史を調べてみると明治15年に安倍郡の高橋安兵衛が作った「愛国」以来だというのです。じつに120年ぶりのことだったのです。農業試験場で専門の技術者ではない一人の農業家が成しえたこの仕事の意味はとても大きいと感じています。私は今、そんな歴史的な瞬間に立ち会えたことに感謝するとともに、だからこそ今後このカミアカリに込められた生命への思いがこの品種とともに受け継がれていくことを希望してやみません。
 
2006年(平成18年)7月15日 
 
次回は、「カミアカリの素顔」と題して、カミアカリの特性と、その独特の食感、食味についてご報告します。
2006年07月15日 [ 5793hit ]
このページを印刷
カテゴリ内ページ移動 ( 164  件):     1 ..  158  159  160  161  162  163  164  次