伊豆高原にあるGAKUSHAで製作する竈(かまど)「御神火竈(ごじんかかまど)」本体制作が8月22日から始まった。予定では2回ないしは3回に分けて製作する計画で初回8月22~23日の二日間で全体の70~80%ほど進めるつもりで製作を開始した。小谷氏の入念過ぎるくらいの事前準備が功を奏し、ストレスなく製作に入ることができた。それに加えGAKUSHAの素晴らしい製作環境、オーナー夫妻が大量の溶岩石を敷地内から事前に集めてくれたこと、またGAKUSHAが定期発行している冊子「IS」の編集スタッフさんらのサポートのおかげで我々が想定していた以上にスムーズな作業が可能となった。(感謝)
さて竈である。御神火竈は基本石積み構造で作る。とはいえ躯体となる竈の大半はソリッドになるよう、隙間に耐火モルタルを流し込みながら治具に合わせ溶岩石を固定していく。完成後見えなくなる箇所であっても、モルタルはできるだけ多用せず岩石主体の構造を作りたい。そのために適した大きさや形状の岩石を選ぶことに時間をかける。じつはこの岩石選び、選ぶ意識が強い時ほどふさわしい石が見つからない。ところが淡々と作業を続けていくうちに、ふと無意識になった時に手にした石が求めていたそれであったりする現象が起こり始める。この感覚はじつに心地よい。まるで自分と周辺との界が曖昧になり溶けるようにして一体となっているような感覚だ。思えばずっとそういう状態を求めて活動してきた。技術を高め精緻なモノづくりをすることと、その日その時その場にある揺らぎに身を任せてモノづくりをすること、その両方がせめぎ合う狭間に現れる至福の状態。無限の時空の中のこの一点で紡がれていくものを捉えるのだ!
格好良く言えばこういう具合だが、冷静にこの状態を考えてみると、こういうことではなかろうか?つまり置く場所を決めてから岩石を探すからなかなかぴったりとこない。しかし偶然に手にした岩石に合わせて置く場所を探すという順番ならば意外と早くその場所は見つかる。ただしこの場合、常に岩石を含むすべてを俯瞰し把握していないとその場所を見いだせない。部分に拘り一点ばかりに集中して作業をしているとこの視点は見いだせないのだ。とはいえ俯瞰ばかりしていても精緻な仕事はできない。時として虫の目であり鳥の目でありながら進めていくことでこの至福の感覚を得られるわけだ。とはいえ、岩石がぴったりくれば正解というわけでもない。「大胆かつ繊細に!」師匠の口癖が脳裏に浮かぶ。。。直径1000ミリ高さ400ミリほどの大きさながら、けっして小さくまとめることなく、破綻を恐れず溶岩石の荒々しさ生々しさが失われないように攻めていくのだ。2日目、あの感覚は消えず朝から作業を再開した。昨日以上に時間が早く進む感覚を持ちつつ、石積みは気持ちよく決まっていく。気づけば御神火竈は、ついにその姿を現した。
このレポートはGAKUSHA FBページより転載しました。