松下です、本日、田植えがすべて終了しました・・・。
というメッセージをもらったのが6月17日のこと。
やっちまった!忙しさにかまけて田植えを見逃した・・・。
今年の初め頃、松下が書いた本、「ロジカルな田んぼ」の写真選びをしている時、
12年分の画像を見ていたら想像以上に田植えのカットが多いことに気づいた。
だから今年もきっと撮るだろうなと、すっかりたかをくくっていた。
この一ヶ月間、田んぼへは何度か行ったのだが、深夜だったり田植えのしてない時だった。
そんなわけで25年産は田植えの写真が一枚もない!(あちゃ〜)
松下からメッセージがあった一週間後の25日、所用で藤枝へ行った折、田植え後の田んぼを見て回った。
時間があまりなかったので、園主には会わずいつものルートで定点観測地を回った。
早生のカミアカリから、中生(正確には早生晩)のきぬむすめ、晩生の酒米品種など
どの稲もすでに活着(根が付いて水や栄養を吸収できる状態)した状態。
一番最初に田植えしたカミアカリは身体作り真っ最中のようす。
ふと周辺の化学肥料の田んぼの稲に目をやると、ほぼ同時期に田植えした早生品種はもう大きく青々と生長している。
スタートダッシュはさすがだ。
有機栽培は肥料成分の有機物を微生物が分解無機化してはじめて吸収されるからゆっくりなのだ・・・
と思っていたが、様々な文献を読むとそう単純な話しではないらしい。
目に見えないミクロの世界の仕組みがどうあれ、健全に生長すればこそ、
ただしその健全と思う感覚も人それぞれ、良いことと都合のよいことを混同している気がする。
稲の生長には温度や日照の積算量、つまり動かしようのない地球の営みに呼応する。
早く宿題やんなさい!早くお風呂に入んなさい!そしたらさっさと布団に入んなさい!
という親の都合とはそもそも違うのだ。
ついつい早いことは良いこと(都合のよいこと)のように思ってしまうのは現代人の感覚なのかもしれない。
じっくり、ゆっくりと生長をする稲を見ながら、そんなことを考えてみた。
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