田圃通学。

2010/12/11 0:35 投稿者:  ankome

 

藤枝島田定期便には必ず田圃へ行く。恒例である。
昼食をそこそこに早出し配達を済ませてから定点観測地をすべて廻った。
フルコースというわけだ。

 

田圃は栽培期間中以外もじつに面白い。見るもの感じるものがいっぱいある。
刈り株から生えたひこばえに実った数粒の米粒。それををつまんで味わったり。
何十種類も見つけられる野草の数々。その小さいながらも姿の美しさ。
おびただしい数のタニシの風化した遺骸。
なぜこんなところにこんなモノが?というような意外なモノの発見。
それらが来年作付け後にどんな影響を稲に与えるかを想像すること。
ちょうど同じ頃、他の地方に住む仲間の田圃はどんなだろうかと思いを馳せること。
つまりそういう有形無形のモノやコトに思いをめぐらしながら田圃の時間を過ごすことがいいのだ。
ことに昼の時間の少ない今頃は、夕方4時にもなればあっという間に日が暮れていく。
その有限な時間の一期一会をそのまま感じることが、
この時期の最も魅力ある田圃の過ごし方と云っていいだろう。

 

今回は松下には会えなかった。ちょうど留守だった。
田圃に園主はいなくても通う。そういう田圃通いが始まってから来年で11年である。
正直、ちょっと信じられない気がしている。
それは飽きっぽい僕の性分からすると、これまででもっとも長続きしている行為だからだ。
解らないから知りたい。知りたいから通う。通うとさらに知らないころが増える。
その繰り返し。
毎回行く時には、さしたる期待も持たずに行くのだが、不思議なことに毎回何かを見つける。
それは、まことにささやかなことばかりなのだが、面白くてしかたない。
そして小さく感動しながら帰路に着くのだ。

 

もうかなり前のこと、涙が出るほど感動しながら帰ったことがあった。
車中は一人だったから、思いっきり涙を流した。音楽を大音響にした。
つまりこのどうってことない風景の中に、そういうモノとコトが全部あって
それらが、ざわつきながら溢れていることを体で感じた時。
数年通い続けて体で感じる姿勢が自然にできたからだったからだろうか。
とにかく涙が出た。そしてうれしくうれしくてしかたなかった。

 

それでも解らないことが無限に生まれていく。
解らないということが解ったことが一番の価値なのかもしれない。
僕はこれからもそんな風にしての田圃通いの小さな旅をしていくつもりである。
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画像上:おなじみの定点、あさひの夢圃場。葉が落ち始めてた。
画像中:雲ひとつない。カミアカリ圃場上空。
画像下:畦に咲くホトケノザ