「自分の田圃で何が起きているをよーく観察することなんだよな・・・・・」雨の降る祭日に稲刈りも後片付けをひととり終わりホッとひと息しているヤツのところへ行ってみた。ヤツはいつもの作業小屋にゴザを敷き干し柿を作るべく渋柿を剥いていた。「正しい農閑期の過ごし方だな」と小生が云うとヤツはニヤッと笑いながら「なるほど、正しい過ごし方ねー」と柿を剥きながらボソッと云った。春から秋は田圃、冬からは近所の蔵元で酒造りの手伝い。その合間の数週間はこうしてのんびりと秋を楽しんでいる。その姿を傍らから見るとまさにお百姓の王道といったところである。昨今スローライフなんて云ってちまなこになって足元を見つめなおそうとなってる輩と違ってなんとも余裕がある。それにはヤツが自分の足元をよーく観察し、よーく考え、そしてよーく実験してきた15年以上の経験によって自らの足元の本質を見抜いた結果からなのである。
「土とは何か?」「雑草はなぜ生えるのか?」「稲とはなにか?」「現代農業とはなにか?」「お金とはなにか?」・・・・。日頃それらがあまりにも日常的すぎるためにそれ以上考えることを放棄してしまった感のあるこれら素朴ではあるが根源的な疑問に松下くんは田圃という自らがもっとも身近でもっとも生活に根ざしているモノを対象に考えてきたという。もちろん入り口は有機農業で生活するための方法論を探すためだったはずだ。このひいき目に見ても恵まれた環境とは云いがたい田圃で如何にして良い結果を導き出すか?たった一人で作業するには効率よい有機農業でなくてはならない。そのひとつが「雑草の生えにくい田圃づくり」まさに逆転の発想である。雑草が生えるには理由があり、そこにきちんとしたシステムがある。それらを解明するためにその田圃に生える雑草を一つ一つ徹底的に分析しそれぞれの性質を調べた。時間は掛かったが今ではこれが有機農業の田圃か?と云われるほど雑草が少なく除草の手間が掛からない効率の良い田圃になった。そこで解ったことは「害にならなければ生やしておけば良い」ということだった。雑草を毛嫌いし駆逐しようとすればするほど雑草は喜び勢いを増す。雑草の知識を持てば簡単に理解できることだが知らなければ除草剤というスーパーパワーに頼ってしまう。人間とはそういうものである。
柿剥きが終わると奥からなにやら怪しげなビンを2つ手に持って戻って来た。ニヤニヤしながら「面白いだろう実験してんだ」と云う。それぞれのビンの中身は収穫後の土のついた稲の株と炊いたご飯が入っている。最初に手にとったビンの中は白や紫、黒などなど色んな菌糸が繁茂し本体の株の部分が隠れるほど大繁殖している。もうひとつのビンもまた菌類は見受けられるが量といい種類といい最初のそれとは明らかにその繁殖の規模は寂しい。「これは何なんだ?」と尋ねると松下くん曰く。「土中の菌類の種類と量を比べてるんだよ」「繁茂しているほうが家の田圃の株と土、もう一つは農薬と化学肥料の田圃の株と土だよ」同じ日に同じ条件で実験を開始したそうで今日で5日目だそうだ。その違いは誰が見ても一目瞭然だった。松下くんの田圃の土中には様々な菌類やバクテリアがいてその種類と量において一般的な農薬や化学肥料を使った田圃の土とは明らかに多いということがこの実験で解るのだ。「土とは何か?」という問いの一つの答えとしてこれほどインパクトのある実験はないだろう。
傍からみればのんびりとした風景に見えるヤツの農閑期の風景であるが、やることはやってるのである。「自分の田圃で何が起きているをよーく観察することなんだよな・・・・・」とヤツは口ぐせのようにそう云う。見れば疑問が湧きその謎を解明しようと思う。その積み重ねがその土地にあった適切な農の有様を自然に作り出していってくれる。答えは自らの足元にころがっているということを教えてくれるのである。松下くんがそんじょそこらの米生産者じゃないってところが解ってくれただろうか?小生がヤツを評して革命的稲作農業家と呼んでいるのはこのあたりにあるのである。こんな風に書くとヤツはたぶん「私がふつうの農業で周りが革命的化学農業なんだよ」って云うにちがいない。
●「松下×安米プロジェクト収穫祭」日程決定!
今年も無事収穫を迎えることができたことに感謝すべく11月30日(日)収穫祭と題して田植え体験会で手植えした羽二重もちの餅つきやヒノヒカリの試食などを企画しています。詳細は決まりしだい当ホームページにて発表いたします。
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