子供の頃、葦舟ラー号や筏船コンチキ号の漂流記や映像を観て感激したことがある。太古の文化の伝播が陸路以外にも海路を渡って移動したのではないか?という説を裏付けるべくノルウェーの人類学者トール・ヘイエルダールが漂流実験をしたというはなしだ。それは子供心に自力で遠くへ移動するという本能的な欲求への芽生えだったように思う。自転車が乗れる年齢になると姉のお下がりのバンビの絵柄付きの自転車で通称静大跡地(現城北公園)と呼ばれた広大な空き地で未知のルートを開拓することに日が傾く時間まで費やした。運転免許を手にすると店にあったスーパーカブで信州へ旅立った。20代前半はモーターサイクルで道なき道を探し走り移動することに興じた。30代はマウンテンバイクという強固な自転車で尾根道まで担ぎ上げ移動することにこだわった。そして今、30代最後の夏の休日、偶然にも海の日と呼ばれる日に松下くんの田圃を目指しヘイエルダール気分で愛車である真紅の自転車をこぎ始めたところである。
人は「四里以内の物を食え」ということをモノの本で読んだことがある。一里が3.9273km。四里といえば約16キロ、往復で約30キロ。人が一日で歩いて往復できる無理のない距離だ。化石燃料がない時代にはこの半径四里以内で生産流通消費することが最も効率が良いという経験的な数値だったのであろう。スローフード、スローライフ、地産地消なんてことをようやく行政も口走るようになった。問題解決のやり場なのか、やや流行語的に使われている節もあるが、この「四里以内の物を食え」ということを現代語にした文言と云っていいようだ。「スローフード運動はグローバル化による行き過ぎた食文化への警鐘で〜」と5年位前にスローフード協会に入会した友人のSくんは昨今の安易な「スロー○○○」という表現にちょっと違和感があるようだ。Sくんにはご不満かもしれないが、方向性そのものは間違っていないと小生は思っている。この松下×安米プロジェクトだって要するに地産地消、スローフードそのものなのだから。じつは、それを有機的に実感したいがために今旧東海道を自転車で西に移動しているのだ。
藤枝の松下くんの田圃まで片道約30キロ往復で60キロ。1日200キロ近く走るような自転車愛好家ならどうってことない距離だ。ちなみ自転車先進国フランスには「ブルベ(Brevet)」という長距離サイクリング認定システムなんてのがあり「パリ・ブレスト・パリ・ランドヌール」という1200キロを90時間以内で走るパリ・ダカールラリーみたいな大会もあったりと長距離を自力で移動することへの憧れは人類の本能と云っていいようだ。走行距離30.5キロ、所要時間1時間30分、梅雨末期のにわか雨まじりの向かい風の中、排気ガスで煙る幹線道路を避け旧道や裏道を走った。そのわりには予定どうりに到着、松下くんは少しびっくりした顔で迎えてくれた。「自転車で来たのー好きだなー」と呆れ顔。「ヘイエルダールの気分だぜー」と言い返してやった。
さて田圃のはなしである。水棲生物観察会から約1ヶ月梅雨明け直前の田圃はすっかり緑の草原に生長していた。それでも松下くん曰く「日照不足!前年比の半分以下の日照だな」と云う。早く田植えした品種はそこそこだが、山田錦などの晩生品種がやや遅れ気味らしい。「それでも稲は強い、ナントかなっちゃうだろうな」とのこと。はなしをしているうちにひどいにわか雨が降ってきた。木陰に場所を移し雨に煙る田圃を眺め「いいねー美しい、これぞ日本の風景だよな」と二人して感動する。思い出してみると田圃通いを始めて3年、雨の降る風景を見るのはこれが始めてだった。よりによって自転車で来た時にとは・・・・友人達に雨男と揶揄されてもしかたいなと苦笑した。ドシャ降りの雨は半時ほどであがり雲の切れ間から夏の青空が覗き強い日差しが田圃にとどきはじめた。雨男の汚名を返上するかのようなにみるみる好天になった。
帰り道は追い風にのって旧東海道を時速30キロで飛ばす。途中、岡部宿にある知り合いのお米屋さん「かど万米店」さんに立ち寄った。かど万さんは一昨年店舗を新築しリニューアルしたばかりのお店で街道では目を引く井川産の地元材を使った洒落た木造店舗付き住宅。じつはこのお店、お米屋さんである上に麹屋さんでもあり自家製味噌が人気の逸品なのである。そんな素敵なお店にお昼時に伺ったものだから、ずうずいしくも昼食までもご馳走になってしまいました。(感謝感謝)胃袋にたっぷり燃料を注入したおかげで宇津ノ谷峠も難なく走り抜け無事帰りつくことができました。たった60キロの自転車日帰り旅でしたが自然と田圃と人を有機的実感できた有意義な一日となりました。
かど万米店 志太郡岡部町内谷633−5 電話054−667−0050
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