友と友、その友と、友。 | |
グランシップにてイベント。グリーンフェスタ。
こういうイベントはちょっとしたサロン。
初対面の人と話しをしていると、友が来る。
まあ誰しもこういう場にいると、こんな経験はあるだろうな。 _
17才の今頃、一つ年上の友とやるせない気持ちで聞いた。映画みたいな事件のあとに。 |
我一人語紅葉山。 | |
午後から紅葉山庭園内茶室にて、20人ほどの前でお話をさせていただいた。
食べていただくことが、喋るよりもはるかに伝わる。
どうしてもその地平が見たい。 _
お礼:
画像上:県庁東館展望室より巽櫓と紅葉山庭園。 画像下:県庁東館展望室より静岡駅方面。駿河湾の向こうに薄っすらと伊豆半島。 |
記憶の地平【14】 | |
人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。
2001年。最初の年、僕はただ黙って見ました。
「俺が普通の農業で、周りが特殊化学農法なんだ・・・」。
このメンタリティー、じつは僕の中にもありました。
その年収穫された米を早速食べました。
売れれば満足と思っただけではありませんでした。
そしてまた、野趣として奏でられている味や香り、風味風合いの中に、 刹那というオマケ付きでね。
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今日ももうこんな時間、地平の神さま、また明日。 |
記憶の地平【13】 | |
人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。
記憶の地平【13】松下明弘、その現場。
僕にとってのこれまでは、この人のこと、この人の米を理解するための準備だったのではないかと思っています。
名前は松下明弘。
初めて会ったのは1997年9月。静岡駅前の居酒屋、今でも忘れられません。地元新聞社のHさんの紹介でした。 その後、彼は秋になると自らが手掛けたお米を試食してほしいとやって来ては、長話ししました。
出会ってから4年目の春、彼から電話は入りました。
早速、その週の週末に彼の田圃へ行きました。
田圃は住宅や工場に取り囲まれています。
僕はその有様を見て廻り、ほどなくしてから、強烈に面白いと思いました。 それどころか、期待されるであろうほとんどのことを、すべて裏切っていたからです。 それからすぐアイデアが浮かびました。 僕はこの日以来、「田圃からお茶碗まで」を、はっきりと意識しはじめたのです。 _
ジーグまで書けるか? |
ミッション。 | |
ESI。僕がたまたま隊長をさせていただいている飯炊き部隊。 現場は、静岡市内マッケンジー邸。
このミッションにご協力いただいた多くの皆さん、お忙しい中、本当にありがとうございました。
画像上:俳優の大杉漣さんが、ESIのTシャツを着て揃って撮影。ESI名誉隊員となる?!
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記憶の地平【12】 | |
人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。
記憶の地平【12】足元からの発見
家業である米屋の仕事をやってみようと思った。
最初の5年、がむしゃらでした。
ある日、少し心に余裕ができた時、CDを買いに呉服町通りに行ったわけです。
6年目のある日、お米のことを何も知らないのに、お米を売ってる自分に気づきました。
つまり薄れ掛けていた「美しい状態」が、ようやく仕事の中に鮮明に見え始めた。そんな時でした。
木こりは、木を切ることが仕事です。ですから、木を切ればいいんです。
切り株の姿を、一瞬脳裏にイメージして木を切る木こり。
つまり、木こりの仕事は、あくまでも木を切る仕事で、切り株を作る仕事ではありません。 ほかの切り株よりも、佇まいがどこか魅力的に見えたからです。
じつは、80年続いてきた安東米店は、そういうコトをしているのではないかと思ったわけです。 腰掛けさせるのではなく、腰掛けてみたくなるような何かが。 ついにそれが足元にあることを発見できたわけです。
ただし、まだそのことを、説明するコトやモノ、そして技はないに等しい状態でした。 そして、アイツと始まるんです。松下明弘と。
次回はいよいよ松下明弘をどう捉えてたか?
※少し手直ししました。もしかするとまた手直しするかもしれません。ここポイントですから。 __
勇気が萎えそうな時にはこれを聞く。 |
記憶の地平【11】 | |
人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。
記憶の地平【11】土漠の中で。
エンセナーダの下町にある酒場。 ここは、メキシコのカリフォルニア半島、半島北の州都である。
18歳の時に運転免許を取って以来、モーターサイクルで旅をするのが好きだった。
そういうことをしているうちに、どうやらメキシコにその手のワンダーランドがあることを知る。
気温45℃、湿度10%以下。
その広漠たる土獏の荒野を駆け抜ける中に、時々小さな村に出会います。
ここで一人で暮らしていること。 それが会話で分かったすべてでした。
そしてふと思ったのです。
旅から戻った僕は、もしかするともともと足元にあった家業の米屋の中に、 次回は、家業の中の「美しい状態」についてお話ししましょう。 _
ロードムービーを見ているようなメキシコ旅だった。
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記憶の地平【10】 | |
人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。 記憶の地平【10】矛盾と混迷
こんな風にして、僕が「美しい状態」と感じている前家畜化時代の物体への憧れは、さらに強くなっていきます。 学校を卒業する半年前のことです。
この出来事があった後に、僕が「美しい状態」だと思う前家畜化時代の物体探しを再開し始めたのです。
卒業後にも制作は続けました。働きながらね。
つまりこういうことです。
ちょうど卒業してから2年が経過していました。 旅のはなしは次回しましょう。
モノ作りの意味するものは?
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記憶の地平【9】 | |
人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。
記憶の地平【9】4本足の物体。
今でこそ「美しい状態」についての想いを、前回まで述べてきたように語ることができますが、87年当時は、まだそれを上手く説明することができませんでした。
そんな気分の最中、所属する工芸科工房の指向性とは明らかに異なることは肌で感じつつ、この作品を作りました87年9月のことです。学校が休みの間に、奥多摩へ行き、間伐材を分けてもらい作った作品です。 この作品では、家具という概念が生まれる前夜の姿。 当時のスケッチブックには、こう書かれています。
ある者は、それを見る。
当時の僕には、この物体に集まってくる様々な人が見えていました。
作品が完成すると、学部教授人全員の前でプレゼンテーションするのですが、そのために作品を講評会場へ搬入していて驚くべきことに気づいたのです。 僕はその時、言葉を失いました。 __
いよいよ矛盾と混迷に入り込みます。ご一緒いただけますか?
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記憶の地平【8】 | |
人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。
記憶の地平【8】先人達の発見。
美術に興味ない人でも80年代はじめに記憶があるんじゃないかな。
さて、そのトマソンという名の由来を説明しておいたほうが良いですね。
このように、対象となるモノを異なる角度で捉えることで、新たな価値が発見されていく様は、僕が感じている見立てることで生まれる「美しい状態」と質的には同じことのように感じます。
また、時代はさらに遡り大正の頃、柳宗悦らよる民芸運動もまた、僕の目にはそう見えてきます。
これらに共通する点は、作り手に美しいモノを作ろうという作為がないけど、なんだか美しい。この感じですね。
このように、時代も対象となるモノの違いこそあれ、広い世界感を持ち、旺盛な探究心で新たな地平を築き、芸術までに高めた人達がいるのです。 とは云っても、赤瀬川さん、柳さん、モリスさんは、こう云うかもしれませんね。
トマソン本を久々に広げてみた。聞きたくなった。 |