ミッション前日。 | |
いよいよカミアカリドリーム勉強会前日。 緊張状態にある。 でもそれが心地よく感じてしまうから、面白い。
これからさらに人が集まり、前夜祭はさらに盛り上がる。
ああそうだ。明日僕が担当するパートも打ち合わせしなきゃいけないんだった。
やっぱりこういう日は、これだろ。 |
ミッション2日前。 | |
今回の勉強会は、あまり熱心な告知をしなかった。
今回はカミアカリ生産家4名が総揃いしてトークセッションする。
そんな風に思っていたら、今日、4名の参加表明があった。
カミアカリドリーム勉強会は、そういった人達にとって、すぐ使える情報はたぶんないだろう。
僕がこの仕事、カミアカリドリームへ至るきっかけを作ってくれたのも
明日の夕刻、カミアカリのコアメンバーが集結して最終の準備をする。
参加者希望の方はアンコメまでご連絡ください。まだ余裕ありますよ。 詳しくはコチラ。
画像:今回集結するカミアカリ生産家の3名。左から菅井さん、松下さん、大久保さん、それに齋藤さんが山形からやって来る。ぜったい面白いゾこりゃ。 __
そう云えば、これがテーマだった映画があったな。 Rubinstein plays Rachmaninoff 18th Variation |
ミッション3日前。 | |
夕方から富士へ向け走る。
11月7日は、いよいよカミアカリドリーム勉強会。
しかしこのミッション、僕だけでなく、多くの人達が自分ごととして参加しています。
それぞれにとっての、探したいモノやコトを発掘できる場。
夜の国道突っ走る。 |
新米情景。 | |
22年産がようやく出揃ってきました。
やっぱり夏の酷暑。
と、ここまでは悲観的なことばっかりでしたが、10月末くらいから入ってきましたよ。触感のいいものが。
毎年11月初旬までは、頭を悩ませることが多いですが、 _
それでも明日はやって来る。 CCR - Have you ever seen the rain?
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三保へ。 | |
午後から急きょ配達、三保へ。
三保には3人の友がいる。 今日もそうだった。
季節柄、光がきれいだった。 __
旅に出よう。近所でいいから。 |
夕景雑感。 | |
来週11月7日(日)行われるカミアカリドリーム勉強会や、今後の活動方針のために書いた「記憶の地平1〜18」。
20年ほど前、お米屋になってすぐの頃、何人かの人に、こう云われたことがある。 「なぜ?美術の勉強したのに、お米屋さんなんて・・・もったない・・・」 なんて・・・はないだろう。と思ったけど、それ以上反論できなかった。
それも、今となっては過去のこと。 _
かぼちゃ大王に栄光あれ。 |
記憶の地平【18】 | |
人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。
記憶の地平【18】 希望 Gigue
さんざん書いてきて、はてさてどうしたものか?結末に迷っている。
この先の答えは、米を作る人、商う人、食べる人、それぞれが発掘すべきものだと思う。 これはカミアカリだけに限らず、米を食べて生きてる人の、云わば義務だと思っている。 義務って云うと、意地悪に聞こえるかな。 まあ、意地悪は、僕にとって「高級なもてなし」ですから、お許しを。 僕はカミアカリドリームの中に、そういうモノとコトを仕掛けてしまった。 いつのまにかに。無意識に。 まるで、「切り株」のようにね。
僕の脳内で覚醒されたこのイメージ、その実体は何なのか?
旅をしたくなった。
あの日、僕が食べたカミアカリは、こんなイメージに変換されたのです。 それがこれまで、僕を通じて新たな価値を生もうとする原動力であることは、紛れもない事実です。
その僕が希望することがあります。それはたいへん単純なことです。
これが今、僕の説明したい「美しい状態」。そのすべてのことです。 _
ここまで読んでくれたアナタへ、ほんとうにありがとう。そしてヨハンさん!伴奏感謝。 ※朝になって少し整理できたので、直しました。きっとまた直します。サンクス板さん!
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記憶の地平【17】 | |
人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。
記憶の地平【17】 丘の向こうの地平 Gavotte1.2
カミアカリが雄弁に語り始めたら、生まれものがあるはずだ。意図することもなく。
正直云うと、地平を目指してここまで来たわけじゃない。
丘は一見すると難所などありそうになく、なだらかに見えた。 しかもこの山行は、ソロではなく、いつの間にかパーティーであることにも気づく。
地平がどんな風景なのかは、今はまったく分からない。
「戦国の世、人を殺めるための道具であった刀剣が、太平の世には、美を語る道具になった」。
物質的には、何ら変わることのない金属の塊が、ある異なる角度で解釈された時、
稲の種、種が糧に、糧が美に。 _
次回がいよいよ地平18。最後か。 |
記憶の地平【16】 | |
人前でお話しをする機会が今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。 記憶の地平【16】鏡 Sarabande カミアカリって名前、どういう意味?と、よく聞かれる。そういえば一昨日も聞かれた。カミはカミサマ。それも稲のカミサマ。稲のカミサマは、稲作をしている人、米に関わる人、つまり松下や僕のような人の心の状態のこと。信頼しているけど甘えられない。そして何があっても受け入れる。そういう心の状態をあえて稲のカミサマと呼ぶことにした。 カミアカリが健全に育つためには、守る何かを準備しなければならいと直感的に感じました。しかし単純にルールを作れば良いという問題では解決できそうにないとも思いました。それにそのやり方は、どうも僕らの生き方、モノの捉え方にそぐわない感じがありました。では、どうするべきなのか?この件について松下と散々ディスカッションしました。それでも松下は僕が危惧している事の意味が、当時まだよく判らなかったようでした。そしてとうとう、この稲を世に出さなければならない2006年、茨城へ共に旅した車中、嫌ってほど話し、話し疲れた先にささやかなアイデアが生まれました。それが、カミアカリの勉強会を作ることでした。 そこでは「カミアカリとはこういうモノだ!」という明確な概念を作ること。その概念を、きちんと説明できるようにすること。そして、カミアカリに関わる人(作る人、商う人、食べる人)が個々の利害を超え、一つの流れとなって新たな価値を紡ぐ場にすること。そしてまた、彼ら三位にとってカミアカリが彼ら自信の表現手段となること。つまりカミアカリを作ること、商うこと、食べることが、ゴールではなく個々が持つ何かを導き出すための道具としてカミアカリを使うこと。それがカミアカリドリーム勉強会の仕事だと考え、その中にこれまで松下と僕の中にあった好奇心や探究心から生まれる使命感みたいなものをアイデアとして仕込んだわけです。あえて「ドリーム」というややカルト臭い名前をつけたのは、夢を描くという意味に捉える方が多いと思いますが「夢を発掘する」という意味を持たせています。すでにカミアカリの中に多様で豊富な価値がある。その価値を三位が一体となって発掘するというイメージです。つまりあらゆる角度から発掘し、まだ見ぬ価値を見つける。まあそういう壮大なことを夢想したわけです。このアイデアが生まれるには理由がありました。それはカミアカリの持っている他の米にないキャラクター。僕はそれが武器になると感じたからです。それはつまり「鏡」です。難解ですね。解説します。 カミアカリはその特徴である大きな胚芽(通常の3倍余)があります。一般に米は精白米にして食べるのが主流ですが、カミアカリを精米すると、その最大の魅力である胚芽を取り去ってしまうことになります。これはもったいないことですね。つまりカミアカリは、玄米で食べることを宿命付けられていたわけです。玄米で食べると白米で食べるよりも明確に現れるものがあります。思い出してください。それが「野趣」です。松下のお米が持つ飼いならされてないことで生まれる風味風合いのこと。稲が生きるため、子孫を残すために必死な状態にある時にまとうことになるモノです。カミアカリは、その野趣を一般のうるち米品種の玄米よりも、より洗練されたイメージで現れていたのです。その理由は定かではありません。しかし巨大胚芽の小気味よい食感と共に、言葉を変えれば「米らしからぬ」その独自な風味風合い中に野趣を雄弁に語ることができる素養をすでに持ち合わせていたのです。 そこで僕はこう考えました。野趣を雄弁に語ることができるのであれば、地域の風土や歴史、人の技や思い、そのようなそこにしかないモノも、きっと雄弁に語るはずだと。つまりカミアカリは「鏡」のような存在だと思ったわけです。鏡はご存知のとおり、物の姿をそのまま映すことができます。カミアカリを食べた時、その風味風合いの中に、それが生まれた地域の風土や歴史、人の技や思いが鮮明に再現されるはずだと。事実その後、3つの異なる地域の異なる生産家がカミアカリを栽培しました。その3つのカミアカリは僕が想像したとおり、異なる風味風合い、野趣をまとっていたのです。 以前読んだことのある本の一説を思い出します。 「あるコーヒーは栽培地の周辺にある森の匂いをまとっている。つまり、その根が吸い込んだ水の味、その木の近くになっていた果実の香り・・・コーヒーは、それを味わう人を、そのコーヒーが育った土地へ連れて行ってくれる・・・」 「かつてニッポンの駅には、そこへ降り立つと、それぞれに異なる匂いがあった」 ノスタルジー、多様性、個性・・・そういう言葉を安易に使いたくない。正直云うと書くことも好まない。書けば書くほど本質から乖離し、その文字と音が陳腐に思えるから。その僕が、それらを「使わず」に、あるいは「作る」行為をせず、意図せず雄弁に表現してくれたのが、松下が発見したこの米、カミアカリでした。 想像のレンジがほんの僅か広い木こりの仕事で、意図せず生まれた切り株。その何とも云えなく素敵な佇まいが、通りがかりの旅人を誘うのです。「ここに腰掛けると、解ることが見つかるよ」。僕にとっての切り株は、この「カミアカリ」だったというわけです。 あと残り2曲となりました。 |
記憶の地平【15】 | |
人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。
記憶の地平【15】蜜月の関係。Courante
色んな場所でやるワークショップや講演で、参加される方に必ず聞く質問がある。
人類が野生稲、その種子を数多ある植物の中から「選んだこと」が、今に続く稲と人の歴史です。
しかし僕は逆から見て見ました。
イネは他の植物との争いに人を利用した。 かなり大きな賭けだったけど。
ヒトもまたそれに答えた。
それに答えるかのように、イネもヒトのエネルギー供給源という役目だけでなく、
イネは生きるために強かです。過激な云い方をすると、節操がない。
ある時、こう考えた。
松下の田圃空間にあるモノ、コト、時間のほとんどが、一見ネガティブに感じてしまうにも関わらず、
「この場にあるもの全部、ここにしかないの種子を生み出す素材そのもの」。
それを生かすことができるか。そうでないかは、ヒトの関わりにあるとね。 だとすれば、この列島にある数多すべての田圃に、そこにしかないの種子、いや、米ですね。
それが、巨大胚芽米カミアカリです。 この素晴らしい道具を使って、「その何か」を雄弁に語ることができると想像しています。 これが僕らが今、拙いながらも使命と感じている目指す地平の始まりであり、 僕が求め続けている「美しい状態」であると確信している地平の風景なのです。 __
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