TOP  >  ankome通信  >  米屋のいい訳
ミッション前日。
ミッション前日。

 

いよいよカミアカリドリーム勉強会前日。
準備をするコアメンバー今、それぞれの脳みそメモリーいっぱい。

緊張状態にある。

でもそれが心地よく感じてしまうから、面白い。


配布する資料原稿はほぼできた。
パワーポイントのデータもできた。
で、もっとも大事なしごと。
それがお米の選別。
明日本番で試食するお米の選別作業を手作業で行う。
4種類を2つの方法で炊飯するので、合計8種。
今、一番乗りでやってきた松下が、カルトンの上で、籾の除去と被害粒の除去をやっている。

 

これからさらに人が集まり、前夜祭はさらに盛り上がる。
そして共に、同じ釜の飯を喰う。
そうして夜は更けていく。

 

ああそうだ。明日僕が担当するパートも打ち合わせしなきゃいけないんだった。
まだやることは山ほどあるよ。
__

 

やっぱりこういう日は、これだろ。
Rolling stones - Midnight rambler

2010年11月06日 [ 3763hit ]
ミッション2日前。
ミッション2日前。

 

今回の勉強会は、あまり熱心な告知をしなかった。
いや、うっかりして2週間前の告知メールをし損ねた。
それでも、参加者は30人を軽く越えそうだ。

 

今回はカミアカリ生産家4名が総揃いしてトークセッションする。
トークが面白くなるように、ちょっとしたした仕掛けもした。
だから、ぜひ聞きに来てほしい。

 

そんな風に思っていたら、今日、4名の参加表明があった。
その4人とも若手の農業者。
稲作だけでなく野菜の生産家を目指す人達だった。いいぞ!

 

カミアカリドリーム勉強会は、そういった人達にとって、すぐ使える情報はたぶんないだろう。
でも、昨日も書いたように、それぞれの人にとっての、
探したいモノやコトを発掘できるきっかけになると思う。
そういう若手が、10年後に彼らにしかできない仕事をしていることを期待する。
そんな場をカミアカリという米が、きっかけで醸し出すとすれば、こんなにうれしいことはない。

 

僕がこの仕事、カミアカリドリームへ至るきっかけを作ってくれたのも
30歳代前半にきっかけを作ってくれた先輩がいた。
そういうきっかけがなければ、こんな面白いミッションもなかったはずだ。
だからその先輩にマジで感謝している。

 

明日の夕刻、カミアカリのコアメンバーが集結して最終の準備をする。
もう8回目なのに、やっぱり緊張する。
参加してくれる人にも、また僕等自信にも良い結果だと実感できるようにしたいな。

 

参加者希望の方はアンコメまでご連絡ください。まだ余裕ありますよ。

詳しくはコチラ

 

画像:今回集結するカミアカリ生産家の3名。左から菅井さん、松下さん、大久保さん、それに齋藤さんが山形からやって来る。ぜったい面白いゾこりゃ。

__

 

そう云えば、これがテーマだった映画があったな。

Rubinstein plays Rachmaninoff 18th Variation  

2010年11月05日 [ 3594hit ]
ミッション3日前。
ミッション3日前。

 

夕方から富士へ向け走る。
入荷したばかりの4産地4生産家の巨大胚芽米カミアカリを運ぶために。

 

11月7日は、いよいよカミアカリドリーム勉強会
毎回直前になるとナーバスになるけど、今回は半端じゃなくスーパーナーバス。
回を重ねるたびに、課題が生まれ、それに向けできる限りのことをする。
ことに今回は、会にとっても、僕個人にとっても、大きな布石となる気がしてならないから。

 

しかしこのミッション、僕だけでなく、多くの人達が自分ごととして参加しています。
それも、それぞれが、それぞれの課題と探しものを発掘するために。
4種のカミアカリを運んだ先の彼も、炊飯という奥深い世界への探求を、カミアカリを道具にして発掘しています。
そういう人達がカミアカリの重力に引き寄せられて集まり自転しています。
カミアカリドリーム勉強会とは、そういう場なのです。

 

それぞれにとっての、探したいモノやコトを発掘できる場。
これは本当に面白い。
日曜日が待ち遠しい。けれどスーパーナーバス。
__

 

夜の国道突っ走る。
Teenage fanclub - Dumb Dumb Dumb

2010年11月04日 [ 3677hit ]
新米情景。
新米情景。

 

22年産がようやく出揃ってきました。
しかしまだまだ問題山積です。そのいい訳をします。

 

やっぱり夏の酷暑。
ことに9月に入ってからお彼岸までのあの暑さ。
その時期に登熟(米の成熟のこと)するお米の品質が、なかなかきびしい。
アンコメでは、かねてから見た目よりも味重視でやってきていることもあり、見た目はあまり気にしていなかったけれど、
22年産では、見た目の品質が、味として、いや正確にいうなら「触感」に大きな影響を与えてる。
触感に締りがないのだ。
個人的には、触感が何より重要だと感じているので、22年産のこの状態は、本当に悩ましい・・・・。

 

と、ここまでは悲観的なことばっかりでしたが、10月末くらいから入ってきましたよ。触感のいいものが。
今まで作ってきた様々な繋がりが功を奏してきました。
今日もそんな繋がりのおかげで、サンプルとして東北地方のお米を2種試食しました。
どちらも触感、味、香りとも良かったです。

 

毎年11月初旬までは、頭を悩ませることが多いですが、
今年は例年以上でした。いやこの悩みしばらく続きそうですが、とりあえずひと安心。
あとはじっくり微調整して、いいフォーメーションを整える予定。
自慢のお米コンテンツのインプレッションも空欄が多かったですが、これから頑張って書きます。しばらくお待ちを。
もうひと頑張り。

_

 

それでも明日はやって来る。

CCR - Have you ever seen the rain?

 

2010年11月02日 [ 3585hit ]
三保へ。
三保へ。

 

午後から急きょ配達、三保へ。
ここしばらくスタッフに任せっきりで、外に出てなかったので、気分転換も兼ねて志願した。
天気も良かったしね。
富士山の頂上付近に雪が付いていた。

 

三保には3人の友がいる。
一人はモノ書き。一人は骨董商。もう一人は民俗学研究者。
半島に吸い寄せられた?面々である。
それぞれが、それぞれ興味深い。
配達途中なので、ゆっくりもしてられないが、ほんの数分寄るだけで、いつもなにか発見がある。

今日もそうだった。

 

季節柄、光がきれいだった。
黄色くて眩しいそれが、骨董商の倉庫の中に射していた。
自分の住む街にいる気がしなかった。

__

 

旅に出よう。近所でいいから。
Robert plant & Alison krauss - Killing the blues
 

2010年11月01日 [ 3365hit ]
夕景雑感。
夕景雑感。

 

来週11月7日(日)行われるカミアカリドリーム勉強会や、今後の活動方針のために書いた「記憶の地平1〜18」。
これまで頭の中だけにあった想いやプランを、初めて文字として出力した。
僕としては、人生初の大出力だった。
まだ説明しきれてない部分や、具体的な語彙が見つからず、
抽象的な表現のままのところもありますが、それらは見つかり次第更新するつもり。
まずは、ひと段落した気分です。

 

20年ほど前、お米屋になってすぐの頃、何人かの人に、こう云われたことがある。

「なぜ?美術の勉強したのに、お米屋さんなんて・・・もったない・・・」

なんて・・・はないだろう。と思ったけど、それ以上反論できなかった。
僕の中では、ちゃんと繋がっていることなのにね。
悔しい思い出である。

 

それも、今となっては過去のこと。
反論ではなくて、具体的なカタチと言葉で説明する時が、これからなんだと思っている。
その最初の一歩だったのかな。「記憶の地平」。

_

 

かぼちゃ大王に栄光あれ。
Donny hathaway - Someday We'll all be free
 

2010年10月31日 [ 3787hit ]
記憶の地平【18】
記憶の地平【18】

人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。

 

記憶の地平【18】 希望 Gigue

 

さんざん書いてきて、はてさてどうしたものか?結末に迷っている。
ここはやっぱり希望を書くとしよう。

 

この先の答えは、米を作る人、商う人、食べる人、それぞれが発掘すべきものだと思う。
それぞれの方法と道具を使って、それぞれにとっての答えをね。

これはカミアカリだけに限らず、米を食べて生きてる人の、云わば義務だと思っている。

義務って云うと、意地悪に聞こえるかな。

まあ、意地悪は、僕にとって「高級なもてなし」ですから、お許しを。

僕はカミアカリドリームの中に、そういうモノとコトを仕掛けてしまった。

いつのまにかに。無意識に。

まるで、「切り株」のようにね。

 

僕の脳内で覚醒されたこのイメージ、その実体は何なのか?
そう考えてみると少しわかるはずだ。
我々は米を食べる。それはどういうことなのか?
米粒一粒の中には、鎖状のブドウ糖でできた200粒の澱粉が、17万の細胞室の中、一つ一つに整然と集積されている。
それを僕らは糖に変換し、エネルギーとしている。
その中の相当量は脳内で覚醒し、僕の今で説明するなら、鎖の解かれたブドウ糖が、状態のイメージとなり、それが言葉や文字に変換している。
そう云えば一ヶ月前、僕の食べたカミアカリは、僕という名の精製工場で、僕をこんな行動に導いた。

 

旅をしたくなった。
それは日曜日のこと。身近な海まで、忽然と歩き始める。
そして道すがら、足元を見る。虫の目でね。
道端の雑草に目を凝らしたり、その動向を感じたり。
石ころと砂の間の境界線は、どこらへんだろうと考えたり。
小さな水たまりに住んでる微生物の一生を、寅さんやスヌーピーなら何て解説するだろうと考えたりね。
そんなささやかな、ありもの探しをした。

 

あの日、僕が食べたカミアカリは、こんなイメージに変換されたのです。
つまり、僕を通じて出来事や風景は「認識」されたというわけです。
これが必要なことなのか?必要でないことなのか?それは個人的な問題かもしれませんね。
「記憶の地平」で書いてきた事柄すべても、それだけのことかもしれません。
これもまた僕の個人的な関心事の産物ですから。
しかし、その僕が個人的関心事だと思っていることは、稲、それも、カミアカリがその素材となって生まれた「状態」のイメージです。

それがこれまで、僕を通じて新たな価値を生もうとする原動力であることは、紛れもない事実です。

 

その僕が希望することがあります。それはたいへん単純なことです。
それは、
「作り続け、商い続け、食べ続けること」。
それらがあってはじめて、あるかもしれない地平が存在し続けられるから。
もしこれらのことの一つでも止めてしまえば、この地平は消えてしまうことでしょう。
それはつまり虚無です。
だから僕らは、ささやかでいいから、これを続けていくわけです。
はてしなく、そしてゆっくりとね。

 

これが今、僕の説明したい「美しい状態」。そのすべてのことです。

_

 

ここまで読んでくれたアナタへ、ほんとうにありがとう。そしてヨハンさん!伴奏感謝。
Bach cello suite No.6 Gigue
 

※朝になって少し整理できたので、直しました。きっとまた直します。サンクス板さん!

 

2010年10月29日 [ 4094hit ]
記憶の地平【17】
記憶の地平【17】

 

人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。

 

記憶の地平【17】 丘の向こうの地平 Gavotte1.2

 

カミアカリが雄弁に語り始めたら、生まれものがあるはずだ。意図することもなく。
それが、新たな価値。
僕流に云うと、「地平」。

 

正直云うと、地平を目指してここまで来たわけじゃない。
歩いてきたら地平があるらしいことに気づき、
それが望めるであろう丘の中腹にいることに気づいた。
そしてその丘を登って、その地平とやらを見てみたくなったというわけです。

 

丘は一見すると難所などありそうになく、なだらかに見えた。
けれど、登り始め標高が上がるほどに、そうでないことが分かってきた。
たぶんこれからさらにタフな山行となると想像される。

しかもこの山行は、ソロではなく、いつの間にかパーティーであることにも気づく。
しかも精鋭たちが揃っていた。
だからザイルを用意して、皆を繋げた。
僕は少しだけ先に行きルートの確保に努め、
松下は、後方の安全確保をしている。

 

地平がどんな風景なのかは、今はまったく分からない。
だけど、こんな風だといいなと、少し思っている。

 

「戦国の世、人を殺めるための道具であった刀剣が、太平の世には、美を語る道具になった」。

 

物質的には、何ら変わることのない金属の塊が、ある異なる角度で解釈された時、
新たな価値が紡がれる。
つまり、新たな地平が現れる。

 

稲の種、種が糧に、糧が美に。
ありえるだろうか?
だから丘を登って、そこに広がるかもしれない地平を見てみたい。

_

 

次回がいよいよ地平18。最後か。
Bach cello suite No.6 Gavotte1.2

2010年10月27日 [ 4056hit ]
記憶の地平【16】
記憶の地平【16】

 

人前でお話しをする機会が今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。

記憶の地平【16】鏡 Sarabande

カミアカリって名前、どういう意味?と、よく聞かれる。そういえば一昨日も聞かれた。カミはカミサマ。それも稲のカミサマ。稲のカミサマは、稲作をしている人、米に関わる人、つまり松下や僕のような人の心の状態のこと。信頼しているけど甘えられない。そして何があっても受け入れる。そういう心の状態をあえて稲のカミサマと呼ぶことにした。
 
アカリは、明という文字をアカリと訓読みしたもの。この稲の発見者、松下明弘の「明」から一字とった。その一字を使ったことにも、じつは意味がある。松下の「松」、明弘の「明」これを並べると、松明(たいまつ)となる。一年の収穫に感謝するお祭り、伊勢神宮の神嘗祭では漆黒の闇の中、松明が燃える明りのもと、その神事が執り行われる。その光景を目の当たりにした僕は直感的に思ったことがあった。松下明弘という男は、稲に祝福され、また稲を祝福する存在だと。だから、この特異稀な突然変異を視界の隅に捉えることができたのだと。これが巨大胚芽米「カミアカリ」。その名の由来です。
 
松下から初めてカミアカリのことを聞かされたのはプロジェクトの最初の年、2001年の秋だった。初めて見るその不思議な米粒を見ながらこう思った。この列島で2000年以上繰り広げられて来た稲の歴史。その一頁に立ち会っていると。同時にもの凄く恐くなった。それは、これを世に出すためには、よほど周到で綿密な計画を立てないと、あっという間に何もかにもが消えてなくなる。興味本位、儲け主義、不勉強、スペック競争、ずさんな扱い、こんなキーワードが、すぐ浮かんだ。これまで数多の新品種が生まれ消えていった背景には、つねにそれらがあることを遠目で見てきた僕には、この稲もそうなってしまうかもしれないと危惧したわけです。また僕のその怖さは、遠目で見ている選択肢ないこと。つまり当事者になることへの恐れであったと記憶しています。

カミアカリが健全に育つためには、守る何かを準備しなければならいと直感的に感じました。しかし単純にルールを作れば良いという問題では解決できそうにないとも思いました。それにそのやり方は、どうも僕らの生き方、モノの捉え方にそぐわない感じがありました。では、どうするべきなのか?この件について松下と散々ディスカッションしました。それでも松下は僕が危惧している事の意味が、当時まだよく判らなかったようでした。そしてとうとう、この稲を世に出さなければならない2006年、茨城へ共に旅した車中、嫌ってほど話し、話し疲れた先にささやかなアイデアが生まれました。それが、カミアカリの勉強会を作ることでした。

そこでは「カミアカリとはこういうモノだ!」という明確な概念を作ること。その概念を、きちんと説明できるようにすること。そして、カミアカリに関わる人(作る人、商う人、食べる人)が個々の利害を超え、一つの流れとなって新たな価値を紡ぐ場にすること。そしてまた、彼ら三位にとってカミアカリが彼ら自信の表現手段となること。つまりカミアカリを作ること、商うこと、食べることが、ゴールではなく個々が持つ何かを導き出すための道具としてカミアカリを使うこと。それがカミアカリドリーム勉強会の仕事だと考え、その中にこれまで松下と僕の中にあった好奇心や探究心から生まれる使命感みたいなものをアイデアとして仕込んだわけです。あえて「ドリーム」というややカルト臭い名前をつけたのは、夢を描くという意味に捉える方が多いと思いますが「夢を発掘する」という意味を持たせています。すでにカミアカリの中に多様で豊富な価値がある。その価値を三位が一体となって発掘するというイメージです。つまりあらゆる角度から発掘し、まだ見ぬ価値を見つける。まあそういう壮大なことを夢想したわけです。このアイデアが生まれるには理由がありました。それはカミアカリの持っている他の米にないキャラクター。僕はそれが武器になると感じたからです。それはつまり「鏡」です。難解ですね。解説します。

カミアカリはその特徴である大きな胚芽(通常の3倍余)があります。一般に米は精白米にして食べるのが主流ですが、カミアカリを精米すると、その最大の魅力である胚芽を取り去ってしまうことになります。これはもったいないことですね。つまりカミアカリは、玄米で食べることを宿命付けられていたわけです。玄米で食べると白米で食べるよりも明確に現れるものがあります。思い出してください。それが「野趣」です。松下のお米が持つ飼いならされてないことで生まれる風味風合いのこと。稲が生きるため、子孫を残すために必死な状態にある時にまとうことになるモノです。カミアカリは、その野趣を一般のうるち米品種の玄米よりも、より洗練されたイメージで現れていたのです。その理由は定かではありません。しかし巨大胚芽の小気味よい食感と共に、言葉を変えれば「米らしからぬ」その独自な風味風合い中に野趣を雄弁に語ることができる素養をすでに持ち合わせていたのです。

そこで僕はこう考えました。野趣を雄弁に語ることができるのであれば、地域の風土や歴史、人の技や思い、そのようなそこにしかないモノも、きっと雄弁に語るはずだと。つまりカミアカリは「鏡」のような存在だと思ったわけです。鏡はご存知のとおり、物の姿をそのまま映すことができます。カミアカリを食べた時、その風味風合いの中に、それが生まれた地域の風土や歴史、人の技や思いが鮮明に再現されるはずだと。事実その後、3つの異なる地域の異なる生産家がカミアカリを栽培しました。その3つのカミアカリは僕が想像したとおり、異なる風味風合い、野趣をまとっていたのです。

以前読んだことのある本の一説を思い出します。

「あるコーヒーは栽培地の周辺にある森の匂いをまとっている。つまり、その根が吸い込んだ水の味、その木の近くになっていた果実の香り・・・コーヒーは、それを味わう人を、そのコーヒーが育った土地へ連れて行ってくれる・・・」
(コーヒージャーナリスト)

「かつてニッポンの駅には、そこへ降り立つと、それぞれに異なる匂いがあった」
(黒澤明の随筆どこか:こんなニュアンスだったと思う)

ノスタルジー、多様性、個性・・・そういう言葉を安易に使いたくない。正直云うと書くことも好まない。書けば書くほど本質から乖離し、その文字と音が陳腐に思えるから。その僕が、それらを「使わず」に、あるいは「作る」行為をせず、意図せず雄弁に表現してくれたのが、松下が発見したこの米、カミアカリでした。

想像のレンジがほんの僅か広い木こりの仕事で、意図せず生まれた切り株。その何とも云えなく素敵な佇まいが、通りがかりの旅人を誘うのです。「ここに腰掛けると、解ることが見つかるよ」。僕にとっての切り株は、この「カミアカリ」だったというわけです。
_

あと残り2曲となりました。
Bach cello suite No.6 Sarabande

2010年10月26日 [ 4257hit ]
記憶の地平【15】
記憶の地平【15】

 

人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。

 

記憶の地平【15】蜜月の関係。Courante

 

色んな場所でやるワークショップや講演で、参加される方に必ず聞く質問がある。
コメとは何ですか?
多くの人は、この最もシンプルな答えがなかなか出ない。
何だと思いますか?
その答えは、「種子」。
ここがイネを捉える上での松下と僕の起点であり、消失点でもある。

 

人類が野生稲、その種子を数多ある植物の中から「選んだこと」が、今に続く稲と人の歴史です。
たぶん教科書的には、そうに違いありません。

 

しかし僕は逆から見て見ました。
それはイネの視点です。
イネがヒトを選んだ。という風にね。

 

イネは他の植物との争いに人を利用した。
イネの争いとは、子孫を残すための争いのことです。
そのためにヒトにとって都合の良い植物になることを、イネは選んだ。
子孫である種子そのものを、ヒトのエネルギー供給源として他のどんな植物よりも魅力に感じるようにね。

かなり大きな賭けだったけど。

 

ヒトもまたそれに答えた。
ヒトにとってより都合の良いイネを選ぶことを。
その選ばれたイネのためにヒトは空間も作った。イネ以外の草が侵入してこないようにするために。

 

それに答えるかのように、イネもヒトのエネルギー供給源という役目だけでなく、
ヒトの感性に触れる何かをも持つようになる。
いつしか稲と人は、飼われているのか?飼っているのか?それを超越する蜜月の関係となった。
それが今というわけです。
まあこれは僕の空想ですかね。

 

イネは生きるために強かです。過激な云い方をすると、節操がない。
どんなところでも生きるため、子孫を残すために、ありとあらゆる可能性を、けっして否定しない。
「こんな場所で?」と思われる所でも、子孫を残すことを怠ることはない。
それが、暑い夏だろうが、寒い夏だろうが、標高が高い所だろうが、低くかろうが。
工場や住宅脇の日当たりの悪いところだろうが、高圧電線の直下だろうが、
夜中こうこうと、水銀灯やイルミネーションに照らされることも、
まったく関係ない。
彼らは与えられた条件の中で、毎年粛々と使命を果たす。
それが彼らの流儀。
猛烈なポジティブシンキング。
だから、僕らはこの小さな列島で文化を作ることができた。
その文化創造の源の60%位は、きっとイネが作ったブドウ糖の鎖、そうデンプンそのものだったかもしれない。

 

ある時、こう考えた。
ここにあるモノ、コト、時間、すべてを強かに利用しているんじゃないかとね。
つまり、イネはどんな条件であっても生きるために必死な時、
ヒトにとって、一見ネガティブに見えてしまうモノやコトだらけであっても、
そのすべてのモノやコトの中からポジティブに捉える何かを見出し、自らの力にする。
そのいっぽう、
ヒトがイネを、飼い慣らした瞬間に、それがすべて逆転するんじゃないかとね。

 

松下の田圃空間にあるモノ、コト、時間のほとんどが、一見ネガティブに感じてしまうにも関わらず、
生まれた「種子」に、そのネガティブさが一切感じられないこと。
それどころか、「野趣」なるものが充実している様を見る時、こういうアイデアが生まれたのです。

 

「この場にあるもの全部、ここにしかないの種子を生み出す素材そのもの」。

 

それを生かすことができるか。そうでないかは、ヒトの関わりにあるとね。
蜜月の関係なればこそ、こうに違いないと考えたわけです。

だとすれば、この列島にある数多すべての田圃に、そこにしかないの種子、いや、米ですね。
米を生み出す何かが備わっているということの証明となりうるはずです。


じつはその証明のために、素晴らしい道具があることにある日、気づいたのです。

それが、巨大胚芽米カミアカリです。

この素晴らしい道具を使って、「その何か」を雄弁に語ることができると想像しています。

これが僕らが今、拙いながらも使命と感じている目指す地平の始まりであり、

僕が求め続けている「美しい状態」であると確信している地平の風景なのです。

__


地平を読んでくれているアナタへ。ようやくここまでやって来たよ。ありがとう。
Bach cello suite No.6 Courante

 

 

2010年10月24日 [ 4104hit ]
501 - 510 件目 ( 649 件中)    1 ... 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 ... 65