其の一五 炊き込みご飯の世界

2010/1/27 16:47 投稿者:  yhonda
 本当はカロリーのコントロール上、一膳で我慢しておきたいところなのだが、ほとんどそれが不可能に近いというのが、私の場合、炊き込みご飯である。カレーライスも、家で食べるとおかわりをしないということは実質的に不可能だけれど、炊き込みご飯もそれに劣らず、二杯目を要求するのだ。
 
 最近でこそ、それでもおかわり一回で我慢するようになった。しかし若い頃は、三杯、四杯と食べた。箸を置くことが相当に困難であった。それくらい、炊き込みご飯が好きでたまらなかった。
 
 だいたい、炊き込みご飯は、おかずとご飯が一体になったようなものであるから、よけい始末が悪い。こま切れの鶏肉とコンニャクとゴボウとニンジンをそれぞれつまんで口に運び、しかるのちに色と味のついたご飯を食べることを考えてみたまえ。一杯食べるうちに満腹信号が脳から出てきそうではないか。
 
 炊き込みご飯では、それが一挙動で済む。飯とおかずがいちどきに口に入る。これほど効率的な食べ方もない。しかしまたそんなことよりだいたい、飯が好きでしょうがない人間には、これ以上の食い物はないのではないかという感じである。
 
 いまでもよく憶えているのは、一九七九年に初めて自転車の旅に出たとき、長野県のさるところで炊き込みご飯を食べさせてもらったことだ。旅の三日目で、行き当たりばったりで泊るのも三軒目だけれど、どこでも親切にしてもらった。しかしながら、こと食事において最も世話になったのは、間違いなくこの南信州の宿であった。
 
 よほど腹を空かせていたように見えたのか、どんぶりで飯をおかわりしたような状態でひと通り平らげたあと、宿の人が、まだ食べられる?というように聞いてくれたように記憶している。頷いてしまったのは言うまでもない。
 
 で、出してくれたのが、賄の炊き込みごはんだった。もうそこそこ満腹状態に近かったはずだが、私は喜んでこれも平らげてしまった。そして、空前の満腹状態になったのであった。もはやその炊き込みご飯の具が何であったかも思い出せないし、世話になったその旅館もすでに廃業されているようだが、あれは一生忘れることのできない食事のひとつであったことは間違いない。ありがとうございました。
 
 

 
 炊き込みご飯というものは、そこにあるとなんだか食卓全体が明るくなるようなオーラを発しているのである。具をご飯と別に調理して、白いご飯の横に小皿に入れて添えたときのことをためしに想像してみれば、雲泥のような差があるのである。
 
 下ごしらえが多少面倒だとはいえ、炊き込みご飯はそれほど作るのに手間がかかる食べ物とはいえないだろう。似た部類の米飯食である赤飯などに比べれば、むしろ一段楽に炊けるはずである。
 
 
 
 それなのに炊き込みご飯の放つオーラは、赤飯にも決して劣らないものであって、そのあたりがなんとも不思議ではある。
 
 どうも、多種多様な具を散りばめて、ご飯自体にもだしや醤油の味が沁み込むという炊き込みご飯のあり方は、どこか祝祭的な感じなのである。しかし儀礼的な感じではなくて、どうも普通の日常生活のなかに、お祭り的な要素を持ち込んでいる感じなのだ。
 
 いずれにせよ、炊き込みご飯は、もてなし料理とまでは言えないまでも、どこかに非日常的な要素を含んでいるのだ。いくら美味しいとはいえ、毎日、炊き込みご飯を食べ続けることは、いささか難しいであろう。
 
 その意味では、白い飯はやはり、偉大な存在である。主食として、白紙的、タブラ・ラサ的存在であるからにして、逆に、炊き込みご飯や赤飯のような存在が際立つのである。
 
 

 
 炊き込みご飯の存在感は、ある部分、ごった煮的、野外的要素にも裏打ちされている。どうも、これは、洋の東西を問わず似通ったところのあるカルチャーではないのだろうか。パエリアなんていうのも明らかに野外料理の匂いがするし、ジャンバラヤなんていうのも、ソウルフード系でありますからね。釜飯も類縁であって、だから駅弁がある。
 
 炊き込みご飯にはまた、季節感があることが多い。私がいただく炊き込みご飯のなかでは、えんどう豆のご飯なんてのが、筆頭にあげられる。これ、やっぱり、えんどう豆のおいしい時期に限られるからね。
 
 自分で炊き込みご飯を作ることはほとんどないけど、料理の上手な人に教わって以来、ピラフを作ることはよくやる。玉葱炒めてから、研いだ米を入れてバターで炒めて、具を入れて、水とブイヨンを入れて、炊くだけ。よくやるのはカレー味とシーフードの2種類。具は、鶏肉だったり、冷凍のシーフードだったり、ミックスベジタブルだったり。
 
 しかしどうも私がやると、ピラフというより、バター入り炊き込みご飯という感じになってしまうのだな。カロリーが高いので始終食べられるわけじゃないのだが、二種類いっぺんに作って二色で盛り合わせると愉しい。あ〜作りたくなってきた、なってきた。
(C)Kazuya Shiratori
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