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カミアカリツーリズム 大久保カミアカリを知りつくせ!レポート1

 

 

 8月25日〜26日カミアカリ生産者4人衆の一人、

大久保秀和さんの田んぼのある茨城県久慈郡大子町(だいごまち)へ行ってきました!

 

 ツアーのスタートは旧上岡(うわおか)小学校。大正6年(1917)に開校した当時そのままの木造校舎の教務員室で、大子町の風土や歴史、大久保さんの農や暮らしの中心である旧山田村字野出畑の由来などホスト役の大久保さんとカミアカリドリーム勉強会の外立さんが紐解いていきます。

 

 大子町史によれば、大子町はすでに10世紀には陸奥国白河郡のなかの依上郷として存在していました。その後、平安時代後期に中央官庁領となり依上保(よりかみのほ)と改称されます。依上保は、久慈川やその支流によって形成された河岸段丘上に拓かれた24か村からなる地域で、これらの村々は依上保の内ということで保内郷(ほないごう)と呼ばれるようになります。大久保さんのホームグランドである旧山田村も久慈川の支流である押川流域に拓かれた農村で、中世初頭にはこの24か村のなかのひとつの村として記録に登場します。
 中世末期になると、依上保(保内郷)は陸奥國から常陸國へ編入されます。その後、明治中期には市町村制度により保内郷は1町9か村に編成され、さらに昭和30年(1955)、保内郷1町8か村が合併し現在の大子町となりました。

 

 この地域の特徴として、町の北部にそびえる八溝山(標高1022m)を中心とする八溝山地や、男体山(標高653m)を中心に南部に連なる久慈山地があり、いずれも水源や滝の豊富な深山景勝地であったため、袋田の滝をはじめ、古くから山林修行の行場や修験道(*)の霊場とされてきました。とくに八溝山頂に創建された日輪寺は、鎌倉時代からは板東三十三観音霊場として広域からの信仰対象とされてきた要所でもありました。そんな土地柄からか、人びとの神仏への信仰心が厚く、村の共同体も健在です。
 

 米作りとともに五穀豊穣を祈る心は現代においても大久保さんたち若い世代が引き継いでおり、近隣の山に龍神さん(水をつかさどる神)や、天道さん(太陽神)をおまつりするなど、年に一度はそれぞれ飲食をともなうお祭りが行われます。

 ツアーではカミアカリの田んぼだけでなく、大久保さんの農や暮らしの背景にあるもの、これらいくつかの場面を見て歩きました。

 

*修験道とは、森羅万象に命や神が宿るとする古神道に山岳信仰や仏教が習合して、そののち道教や陰陽道も加わり確率した日本独特の宗教。
 

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画像上:旧上岡小学校

画像中:ホスト役の大久保さん(右)とカミアカリドリーム勉強会の外立さん(左)

画像上:旧上岡小学校教室

 

 

 

2012年09月01日 [ 4376hit ]
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