松下圃場 | |
8月21日と22日にカミアカリツーリズム静岡藤枝で訪ねる場所を少しだけ教えちゃいましょう。その7です。
栃山川頭首工を見学した後はいよいよ巨大胚芽米カミアカリが育っている姿を見に松下さんの田圃へ行きます。
その中に松下圃場はあります。松下さんが栽培する田圃の中には、そんな住宅や工場に隣接して窮屈そうに見えるところがいくつかあります。表層的に見れば変化し昔の面影はありません。しかしこの土地が持つ基本的な部分は、昔と何も変わっていないと、松下さんは云います。その連綿と続く歴史の上にカミアカリは生まれたのでした。 現代のありのままを受け入れながら、その中で繰り広げられている農を、松下さん自身に解説していただきます。岡部ゆとり庵さんのカミアカリ弁当をいただきながら。
画像上:カミアカリ圃場 画像下:イトミミズが生む大量のトロトロ層 |
栃山川のはじまり | |
8月21日と22日にカミアカリツーリズム静岡藤枝で訪ねる場所を少しだけ教えちゃいましょう。その6です。
この地域の田圃を潤しているのは川口取水工から始まる大井川用水路であることは、すでにお分かりいただけたと思います。そしてツーリズムは、ついにカミアカリが生まれた松下さんの田圃に運ばれる水の起点を訪ねることになります。それが栃山川頭首工です。 ここを基点として駿河湾まで総延長37キロ、もともとは古代の大井川の流路でもあったそうです。現在は改修工事が行われ、木屋川と並んでこの地域の用水路としても機能しています。栃山川や木屋川は、志太平野の中では、エピソードも多いたいへん歴史が深い川です。それらを調査している方たちにとって、栃山川頭首工を訪ねるのは感慨深いものがあります。このどうってことないように見える風景の中に、長〜い長〜い歴史あるんですよ。 |
明治維新と橋。 | |
8月21日と22日にカミアカリツーリズム静岡藤枝で訪ねる場所を少しだけ教えちゃいましょう。その5です。
牧之原開拓の祖、中條景昭(ちゅうじょうかげあき)像のある記念公園からは対岸の島田藤枝側まで徒歩で川を渡ります。
画像:東岸から西岸を望む。橋の向こう側が牧之原台地である。 |
大井川扇状地を望む。 | |
8月21日と22日にカミアカリツーリズム静岡藤枝で訪ねる場所を少しだけ教えちゃいましょう。その4です。
大井川の西岸には、有名な牧之原大茶園があります。その高台から駿河湾にまで広がる大井川扇状地を一望することができます。訪ねるのは、牧之原開拓の祖、中條景昭(ちゅうじょうかげあき)像のある記念公園です。
画像上:茶畑の下に広がる平野が大井川の扇状地。奥に見えるのは静岡と焼津藤枝を分かつ山、高草山。 画像下:中条景昭立像。大政奉還後の幕臣たちを率いて、この地を開墾した立役者。最後の将軍、徳川慶喜公の家臣である。 |
水の橋 | |
8月21日と22日にカミアカリツーリズム静岡藤枝で訪ねる場所を少しだけ教えちゃいましょう。その3です。
ツーリズム2日目は、いよいよ松下さんのカミアカリが育つ志太平野を潤す水が、どこからやってくるのかを訪ねる旅です。 |
これは何? | |
8月21日と22日にカミアカリツーリズム静岡藤枝で訪ねる場所を少しだけ教えちゃいましょう。その2です。 |
これが面白い。 | |
8月21日と22日にカミアカリツーリズム静岡藤枝で訪ねる場所を少しだけ教えちゃいましょう。 初日の序盤、岩田神社に参拝します。このどこにでもあるように見える旧東海道沿いにある小さな神社の祭神は、なんと天照大神と豊受大神なんです。要するに伊勢神宮の出張所みたいなところなんです。 |
ご飯炊き。 | |
「前にラジオで云ってた美味しいご飯の炊き方って・・・?」という質問を、昨晩同窓会で会った旧友に聞かれた。数年前に、地元FMラジオ局の朝の番組で週1回2ヶ月に渡ってお話ししたことを、彼は覚えていてくれたのだった。というわけで、あらためてそのことについてアップしようと思います。
「ご飯炊きとは、煮る、蒸す、焼く、の複合加熱でお米のベータデンプンをアルファ化することで消化しやすくすること・・・」
例えばアンコメがオススメしている土鍋によるご飯炊きは、予約や保温などの便利機能はないですが、ご飯を炊くことをシンプルに理解でき、難しいテクニックなしに誰にでも美味しいご飯を炊くことができる優れた方法です。
<下準備>
<ご飯炊き>
<土鍋購入のポイント>
アンコメオススメ炊飯土鍋 四日市万古焼炊飯土鍋(日本製) |
見えているけど、見えてないもの。 | |
すでにカミアカリドリーム勉強会のコンテンツでも募集告知をしている「2010カミアカリツーリズム静岡藤枝」。そのプランを作るにあたって、ホスト役の松下さんをはじめ、多くの方の意見を盛り込んで作りました。
暴れる水でありながら、同時に恵みの水でもある大井川。暴れる水との戦いの歴史。いっぽうで、その恵みで大地を潤し、水があってこそ生まれる米、そして酒の存在。 恵みを最大限生かすために作られた複雑で精緻な治水の仕組み。その歴史は代々受け継がれ、氾濫原だった大井川扇状地を恵みの土地に変えていった。それらの一部は歴史として埋もれていくものもあるけれど、今も現役で活躍しているものもある。それらが一体となって、この扇状地「志太平野」があるのだ。
8月21日は、地元の歴史ある酒造蔵元の杜氏さんと、千貫堤・瀬戸染飯伝承館の郷土史家の方のお話し。
こんな機会はめったにないと思います。カミアカリドリーム勉強会に参加されたことのない方でも、参加可能です。「見えているけど、見えてないもの」を一緒に発見しませんか?詳しくは、コチラをご覧ください。 画像:栃山川用水路の始まり。 |
開花。 | |
庭にあるマイリトルライスフィールド。カミアカリの稲が開花しています。画像は、その直後のもの。緑色のもみが開いておしべが現れます。と同時に受粉をします。そして残った花粉は風に乗せて飛ばします。小さいながらも、身近に田んぼがあると、こういう瞬間に出会えてうれしいです。 |